偶像礼拝すると悪霊に憑依される


(1)
霊の憑依現象を現代科学はあざ笑うかもしれないが、傲慢である。

憑依は礼拝とともに起こるのである。

なぜならば、礼拝とは一体化だから。

聖書では、姦淫は、偶像礼拝のシンボルとして描かれている。

異なる神への礼拝は、異なるパートナーとの性行為と同じと見なされている。

だから、礼拝とは、一体化なのである。

契約とは、礼拝であり、一体化である。

宗教は、全人格的である。

だから、礼拝とは、全人格的行為であり、それゆえ、霊肉ともに、礼拝対象と一体化する。

聖書において、異なる神への礼拝は悪霊崇拝であり、悪霊との交わりである。


いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。(1コリント10・20-21)

異教の神とは悪霊であり、その祭壇への献品は、悪霊との交わりである。

悪霊と交わるということは、悪霊と一体化することだから、当然憑依が起きる。

偶像礼拝を続けていれば、次第に自分の中に悪霊が住み着いて悪霊のコントロールを受けるようになる。

いわゆる精神病者と言われる人々のほとんどが、悪霊との交わりを通じて憑依された人々だと思う。

偶像礼拝をすれば、憑依は避けられない。

その内部を悪霊によって占領されればされるほど、自分の意思と無関係に行動するようになる。

二重人格、三重人格になる。

自分が神を無視してやっている悪事は回を重ねるごとに悪霊の憑依は強くなる。

万引きを繰り返すと、無意識にやるようになる。

幻聴や幻視が増え、常に誰かにささやかれる状態になる。

いわゆる精神病と言われるものの真の原因は、偶像礼拝にある。

バビロンのネブカデネザル王は、あまりにも傲慢であり、自分を礼拝していた。

そのため、あるとき、理性を失って、野獣のようになった。

このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。
十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」
このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」
このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。
その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。(ダニエル4・28-34)

傲慢と、貧困者への無視、罪、こういったものを通じて悪霊礼拝は深まり、そして、ついに完全に支配される。

(2)
悪霊は神になりたがるので、礼拝されることが大好きである。

だから、偶像があれば、その中に入りたがる。

人々が目の前で自分に頭を下げるのを見るのが大好きなのである。

だから、マリア像などに多くの霊が住み着くのである。

マリア像が血の涙を流したとか、超常現象のようなものが起きるのは、もっともらしく見せて、偶像礼拝をさらに進めるためだ。

ロックグループで頻繁に変死者が出るのは、偶像になるからだ。

アイドルになりたがる女性とか、実情は憑依である。

自分がアイドル(偶像)になるのだから、確実に憑依される。

悪霊は、礼拝される対象を探している。

物体よりも生物のほうを好む。

なぜならば、自分の思い通りに動かせる可能性が高くなるから。

動物とかにも入る。

しかし、一番希望するのは、人間である。

理性を持っているので、強大なパワーを発揮できるから。

だから、高級になればなるほど悪霊は、権力者に憑依したがる。

お地蔵さんに入っているような悪霊は低級霊である。

サタンの直属で働いているような霊は、国のトップに憑依する。

影響力がものすごいから。

教育者にも高級霊が憑依する。

子供を支配すれば、次世代を悪魔の世界に変えることができるから。

日教組などは悪霊の巣窟である。

王族など上品だから憑依されていないでしょう、などと考えてはならない。

上品に振る舞う悪霊がいる。

きわめつけは、宗教指導者である。

異端や偽の教えを伝える人々。思想家、哲学者など。

彼らは、社会の根幹を形成するので、最高級の悪霊が憑依する。

現代世界の思想の枠組みを作ったカントなどは最高霊の憑依を受けたと思われる。

現代科学が霊を無視しているのは、その悪霊に支配された結果である。

霊は隠すからである。

だから、誰も教育と悪霊の関係を知らない。

(3)
悪霊から解放されるには、聖霊によって満たされるしかない。

聖霊によって支配されるには、罪を捨てること、悔い改めること、そして、聖霊の支配を希望することである。

思いつく限りの罪を告白して祈り、捨てない限り、悪霊は出て行かない。

悪霊は病気と同じで体の中に巣を作る。

その巣を根絶するのは至難の業である。

ばい菌の巣を取り除くように根気よく取り組まねばならない。

悪霊退治において重要なのは、できるという確信である。

「できない」「ダメだ」と口にする人と話すと暗くなり、悪霊の存在を感じる。

話した後で、いやな気持になる。

すべての悲観主義は不信仰であり、それゆえ、偶像礼拝である。

悲観的な人は悪霊に憑依されているのである。

常に可能性に満ちた考え方をし、明るい言葉を話すように心がけるべきだ。

 

 

2012年12月22日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net