アブラハム・カイパー(1837年〜1920年)2


事態が進展する中で、カイパーは、作家や教授、ジャーナリスト、政治家の活動を継続した。政治家としては、反革命政党の内部で昇進し、ついに1901年に首相に就任した。政治家としてのカイパーの主要な課題は「領域主権」にあった。すべての権利を個人に由来するものと考える当時人気のフランス革命の主権や、すべての権利を国家に由来するととらえるドイツの国家主権(これは、20世紀のファシスト体制および共産主義体制の先駆けであった)を拒否した。カイパー曰く「権利は、神に由来し、神は権利と責任を個人や国家だけではなく、家族や学校やマスコミ、企業、芸術などの中間的な組織にも割り当てられる。これらの組織はそれぞれ、特定の生活領域を有し、国家など他の領域からの侵害から自由であるべきだ」。中世において「教会は国家よりも優れているのか、それとも劣っているのか」に関して広範な議論が繰り広げられていた。カイパーの見解は、このいずれでもなかった。すなわち「教会も国家も同等であるが、それぞれは、神のみ言葉に服従しなければならない。神のみ言葉は、それぞれが管轄する領域を支配する」と主張した。もちろん「それぞれの領域間の境界線を正確にどこに引くべきか」は難しいテーマであり、カイパーが最終的かつ徹底的な結論を出せるような問題では無かった。

カイパーによれば、(教会やシナゴーグだけではなく、ヒューマニストや社会主義者の団体も含む)すべての信仰共同体には、自前の学校や新聞社、病院などを所有する権利を含む、平等の権利が与えられるべきである。政府はそれぞれの共同体を平等に支援しなければならない。今日、合衆国において、すべての国民は、税金によって「国家が後援し、世俗的なヒューマニズムに基づく価値観を吹き込む『公立』学校」を支えなければならない。自分の子供をクリスチャンスクールに通わせることを望む両親は、税金の他にその学費をも支払わねばならない。もちろん、カイパー主義の政策は、カイパー自身と同様に「宗教を教育から切り離すことができ、国家が支援する学校は宗教的に中立である」といった考えを拒絶する。

そのほか、どのような人間の努力も教えも、宗教的に中立ではありえない。科学も同様である。3巻からなる著書『神聖な神学の百科事典』において、カイパーは「科学は『罪の事実』を考慮に入れなければならない」という持論を詳細に展開している。堕落の事実と「神が一部の人々を再生される」と言う事実は、「2種類の人々」が存在し、それゆえ「2種類の科学」が存在するという考えを必然的に導き出す。いずれの科学も、すべての事実に対して有効であると主張し、すべての人に当てはまると主張する点において「普遍的」である。これを理解した上で、神の知識の学問である神学は、あらゆる科学において中心的な役割を演じる。人間を扱う科学―すなわち、自然科学や医学、文献学、法学―は神学の営為に従うべきである。神学は「その研究の対象を、神が啓示された模写的な知識(*)に求める」 。カイパーは後にさらに詳細に説明し「知識は無謬の聖書に基づかなければならない」と述べた。(つづく)

(*)

tomiの注:

模写的な知識とは、「人間の知識とは、神の知識の追認識である」という考えに基づく概念。人間が被造物である以上、神から独立して物事を独自に正しく認識する能力はない。すべての正しい認識とは、神がご覧になるとおりに物事を見ることである。

たとえば、神が同性愛を悪と見ておられるならば、人間もそれを悪と見なければならない。「神が同性愛をどのように見るかは関係ない。私はそれを肯定し、人々に勧める」という人は、間違った認識をしている。

神が万物を創造したので、神の基準よりも権威の高い基準は存在しない。

 

 

2016年12月2日



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