浄土真宗とキリスト教2
鎌倉時代の浄土教宗派の祖法然と親鸞はどちらも秦氏のようだ。
法然は母親がが秦氏。親鸞は源頼朝と源義経の甥であり、源氏の守護神が八幡神社、宇佐八幡宮はもともと秦氏の氏神であることから秦氏であると推察される。
法然は1133年の生まれで、人間救済を本願として1175年に浄土宗を開きました。法然は秦氏が多く住んだ美作国(岡山県)で生まれ、母親が秦氏、父親も秦氏の血筋の辛島氏を先祖にもつ漆間時国でありました。辛島氏は製鉄・鍛冶を行ない、その祭祀も司っていました。又、豊前国(大分県、福岡県)を根拠地としていましたが、大分県には八幡神社の総本社の宇佐八幡宮が在ります。秦氏が八幡神社と稲荷神社を作りましたが、渡来人の秦氏は新羅系で、宇佐八幡宮は応神天皇(八幡大神)、神功皇后(応神天皇の母)、比売大神の「3柱」を祭ります。
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一方、親鸞は1173年に生まれ、法然の教えをより深く進めて、罪を犯した人も救われる事を本願とする悪人正機説を唱えて、1224年に浄土真宗(一向宗)を開きました。其の親鸞は源頼朝と源義経の甥になります。源氏は秦氏の血を受け継ぎ、後に多くの大名へと末裔が広がっていきます。哲学者の梅原猛氏は、親鸞の「人は皆悪の心を持つ」という「原罪感」が、母方の源氏の血筋から来ていると言われています。それは、聖書的な考えである、人は皆元々生まれながらにして罪を犯しやすい性質を持っていると言う「原罪」に共通しています。秦氏が景教(ネストりウス派キリスト教)の信者であった事からも理解出来ます。
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2014年5月4日
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