御国のすべては上から来る2
このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。(マタイ3・4)
このバプテスマのヨハネの生活は「御国の預言者は人に依存しない」という真理を象徴している。
当時の指導者たちが世俗の評判によって生きていたのに対して、バプテスマのヨハネは自然のもので養われていた。
律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。(ルカ20・46)
イエスを十字架につける人々が礼拝していたのは「世間」である。
彼らにとって「世間がどう見るか」が重要であった。
つまり、彼らにとって「世間」は救い主であった。
御国は、神が救い主であって「世間」ではない。
世間に頼っていたパリサイ人や律法学者たちは、神に頼っていたイエスに戦いを挑み、殺した。
世間が勝ったように見えた。
しかし、イエスは復活され、世界の王になられた。
結局、イエスは、世間よりも強かった。
だから、われわれは、世間に信頼しない。
世間に救ってもらおうと思わない。
評判や名誉、お金、学位、地位によって救ってもらおうと思わない。
世間からのお墨付きを求めない。
「人々から認められないとダメだ」との考えは、パリサイ人や律法学者のそれであって、クリスチャンの考えではない。
「わたしの国はこの世のものでは」ないのである。
御国とは、直接神からの救いによって生きる国である。
2017年12月20日
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