ピーター・ワグナーは終末論に関してわれわれと同じ立場になった



一方で、もし神が積極的な社会変革に関わるよう私たちに命じておられると信じているなら、異なる見解にたどり着くことは明白です。社会がますます悪化していくという考えはもはや受け入れません。なぜなら神の命令は社会を変えることであるといま信じており、それであれば社会はますます向上するのです。私たちクリスチャンは「地球から離れ去りたいという過度の欲求」を捨て去る必要があるというジム・ホッジスに同意します。千年王国に関する諸説について独善的になり過ぎないようにしてくれます。私はしばしば、自分が千年王国前再臨説、千年王国後再臨説、または無千年王国説なのかもはや分かりません、と冗談を込めて言います。私は最終的には物事がすべてうまくいく(pan out)であろう信じる「総千年王国」(panmillenial)説を支持することにしました!

私は最近まで信じていなかった終末論を真剣に告白します。それは従来のレフ卜ビハインド未来的見解です。しかし私が実際信じるまでは公言することはできませんでした。ハロルド・イバ一リとマ一テイン・卜レンチによるVictorious Eschatology(勝利の終末論)を読んだときに転機が訪れました。終末論は統治神学にぴったりと合いました。イパーリと卜レンチは「イエスの再臨前に教会は栄光、一致、成熟の中で立ち上がる。御国は地上を満たすまで成長し前進する。」と言っています。

勝利の終末論は、「のちの時代」や「終わりの時代」に関する聖書的預言が、紀元七十年のエルサレム崩壊の時、文字通り成就したという説得力のある主張にします。終わりの時代は古い契約の終わりと新しい契約の始まりを刻みました。イエスは将来(マタイ24:36-25:46参照)文字通り再び来られますが、マタイ22:4-34のしるしのどれ一つとして再臨前に現れるとは予想されていません。なぜならそれらはもうすでに起きたからです。専門の神学者らには、終末論の部分的預言既成説論的見解として知られており、私個人もそのように認識しています。
(C・ピーター・ワグナー『神の統治!』WLIジャパン、初版、p.58-59.)

1.

翻訳には大変苦労されたことと存じます。

翻訳者のご労に感謝いたします。

ただ、もっとも核心的な「ピーター・ワグナーがどのような終末論を持っているか」に関する重要な次の箇所に誤訳があります。

私は最近まで信じていなかった終末論を真剣に告白します。それは従来のレフ卜ビハインド未来的見解です。しかし私が実際信じるまでは公言することはできませんでした。

元本を取り寄せ、この箇所を確認したところ次のようになっていました。

Seriously, I will confess that up until recently I knew what eschatology I did not believe - namely, the traditional Left Behind futuristic view - but I was not able to verbalize what I actually did believe.
(Wagner, C. Peter, Dominion!: how kingdom action can change the world, 2008, Chosen Books,p.61.)

この箇所は次のように訳すべきです。

私は真剣に告白する。最近まで、私は自分がどのような終末論を信じていないか―つまり、伝統的な「レフト・ビハインド」の未来説を信じていないということ―を自覚していたが、実際に自分が何を信じているかを言葉で表現できなかったと。

つまり、告白の内容は次の2点である。

(1)「レフト・ビハインド」に記されているようなプレ・ミレ終末論は自分の立場ではないと自覚していた。

(2)最近まで、実際に自分が信じている終末論を言葉によって明確に説明できなかった。

ピーター・ワグナーは「プレ・ミレ終末論は信じられないと思っていたが、ならばどのような終末論を信じているのか、と問われると、それを言葉にして説明できるほどではなかった」と告白したのである。

残念ながら、翻訳本では「ピーター・ワグナーがレフト・ビハインド流のプレ・ミレ終末論を最近まで信じていなかったが、信じるようになった」とまったく逆の意味に解釈できる訳になっている。

このようなきわめて重要な書物には、悪魔が非常に強く働くので、翻訳の作業に霊が介入し、翻訳者のメンタルを乱して、もっとも重要な部分であいまいになったり、逆の意味に訳されたりすることがある。カルヴァンの『キリスト教綱要』の邦訳にも重要な点で誤訳がある。

2.

ピーター・ワグナーは本書において、ポスト・ミレの立場を取っていることを明確にしている。

翻訳では「専門の神学者らには、終末論の部分的預言既成説論的見解として知られており、私個人もそのように認識しています。」とあるが、この箇所は次のようになっている。

This is known by professional theologians as the Partial Preterist view of eschatology, and it is the view with which I personally identify.(pp. 61-62.)

「部分的預言既成説論的見解」とはPartial Preterist view of eschatologyであり、われわれの理解する終末論、すなわち、パーシャルプレテリズムである。

ここで「identify with」は「〜に共鳴する、共感する」という意味の熟語である。

それゆえここは次のように訳すべきである。

これは、プロフェッショナルの神学者たちが「パーシャルプレテリスト終末論」と認めているものであり、私が個人的に共感する見解である。

つまり、ピーター・ワグナーは、われわれと同じ、パーシャルプレテリストになったということである!

ただし、紀元70年をまだ再臨と理解していない点で異なっている。

デイビッド・チルトンのThe Days of Vengeanceを読めば、律法の「二度の聖め」の原理に基づき、再臨が二度あることがわかるだろう。

紀元70年にイエスは全世界にご自身の主権を確立するために再臨された。

しかし、これは法的なものであり、実際的な主権の確立は、教会の戦いを通じて、世界において徐々に進むものである。

全世界がイエス・キリストの御国にほぼ変わったときに、イエスは2度目の再臨において「聖めを完成される」。

そして、歴史が終わり、永遠の世界が到来する。

 

 

2018年1月17日



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