神の創造に文句を言うことは偶像礼拝である
酒、たばこなど、嗜好品は、神が大人に与えたものである。
なぜ「大人」かというと、制御できる理性があるからである。
小さい子供は、手当たり次第興味あるものを掴んで口にする。
大人は良いものと悪いものを区別できる。
神は、自然に毒をわずかに含ませて創造された。
お米やパンやじゃがいも、魚、肉のようなものだけではなく、コーヒーやたばこ、お酒など、食後などに取る刺激物を創造された。
バランスを取るためである。
人間には、日常の仕事だけではなく、娯楽が必要である。
香りのよい花だけではなく、生臭い魚のようなものも創造された。
一見すると不快だが、非常に美味なものがある。
魚などは生臭いのに、焼いて食べると風味がいい。
世の中では、おやじ臭とか敬遠されるが、人間は、ずっと家畜と暮らし、臭いものと共存してきた。
私が小学生のころまで、馬糞がそこここにあり、乾燥すると風に舞った。その空気を平気で吸っていた。
それが自然の状態であり、あらゆる臭いものを敬遠すると人間がいびつになる。
酒やたばこを敬遠するキリスト教とは、実は、神に命令している。
「こんなものを創造しないでください」と。
偶像礼拝なのである。
神は深い配慮により、人間の必要を覚えておられるので、中毒性のある刺激物をあえて混ぜておかれたのである。
それは、人間の精神のバランスを保つためであり、ストレスを軽減するためである。
いわゆる禁欲主義は、聖書的キリスト教とは無縁だ。
2014年1月31日
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