契約の民と天地を結びつける働き2


クリスチャンは、エデン山の中腹にあったエデンの園に住んでいる。

だから、エデン山の山頂に落ちる雨の恵みを、地上に流す責任がある。

エデンの園のところで水をとどめていても、地は潤わない。

どうして、ここ200年間、戦争と革命と虐殺が続いたのか。

クリスチャンのところで祝福の水がとどまっていたからではないか。

祝福の水をとどめていた堰の役割をはたしていたのが、ディスペンセーショナリズムだ。

「地上のことは関係ない。クリスチャンは、再臨をひたすら待ち望むべきだ。」という教えだからだ。

これでは、天上の祝福は地上に届かない。

今、世界は、第三次世界大戦、そして、世界政府へと向かっている。

このような悲惨を許していいだろうか。

ディスペンセーショナリズムを捨てなければならない。

そして、自分のところにある堰を切って、水を流さなければならない。

地上に神の恵みをもたらす者としてわれわれはいることを自覚し、イルミナティの計画が挫折するように祈らねばならない。

 

 

2015年3月6日



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