ペリーの露払いとしてロスチャイルドが日本に送り込んだジョン万次郎
高知県土佐清水市の中浜に、貧しい漁師の子として生まれたジョン万次郎は、14歳の時に漁で遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられて、そのまま船長にアメリカに連れて行かれ、育てられた。
ペリー来航の2年前に帰国し、幕府の旗本となり、アメリカとの交渉の通訳として活躍した。
このジョン万次郎の銅像、出身地高知の足摺岬に建てられたのだが、なんと手にコンパスと定規を握っている。
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/img/1228311027.jpg
明らかにフリーメイソンである。
そして昭和43年にこの銅像を建てたのが、地元ライオンズクラブ有志。
『財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター』の会長は、小沢一郎で、副会長は与謝野馨。
明治維新はフリーメイソン革命であったが、その端緒を開いたのが、ジョン万次郎であり、彼はアメリカでフリーメイソンになり、ペリーによる日本侵略のための諜報員になったのだろう。
ペリーは、航海日誌の中で次のように述べた。
「日本国内の法律や規則について、信頼できる充分な資料を集めるには長い時がかかる。領事代理、商人、あるいは宣教師という形で、この国に諜報員を常駐させねばならない。それなりの成果をあげるには、諜報員にまず日本語を学ばせなければならない」(『ペリー提督日本遠征日記』小学館)
2012年12月13日
ホーム