精神的な健康を保つには?3



イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13・3-9)

1.

日常生活でちょっとした隙を作ると、サタンはすぐにわれわれの精神をぐらつかせるような攻撃を仕掛ける。

たとえば、まだあまり知らない人に気を許して冗談などを飛ばしあうと、その人がこちらの警戒心が緩んだ隙を狙って何か不信仰な思想を放り込んでくる。

その人が悪魔だというわけではない。

悪魔は人を利用するのである。

信仰とは「一枚岩」である。

部分にわかれてつなぎ合わされているようなものではない。

信仰は、次の要素の一つが失われるとすべてが崩壊する。

1.神が世界を創造された。神は人の救いのためにイエス・キリストを犠牲とされた。信じる者は誰でも地上的及び永遠的呪いから解放される。

2.人間は神のしもべとして世界を統治しなければならない。

3.人間が守るべき道徳基準は十戒を基本法とする聖書のすべての教えと命令である。聖書は無誤無謬の神の言葉であり、それに対する疑いは絶対に許されない。

4.人間は神の道徳基準に照らして評価され、地上的永遠的祝福に差が生じる。

5.人間は家族及び伝道を通じて信仰を継承し、神との契約を永続化させ、神の国の地上での拡大に貢献しなければならない。

進化論を信じることは、信仰をすべて失うことに等しい。

一点の欠落が全部の喪失につながる。

聖書契約は各要素が互いに有機的かつ密接に関係しているからである。

われわれがクリスチャンになり、信仰を持ち、神との契約の中に入ったならば、その信仰を破壊し、弱め、地上におけるわれわれの活動が神の国建設につながらないように、悪魔はわれわれに異なる教えを吹き込もうとする。

われわれは常にターゲットである。

一瞬でも気が抜けない。

われわれは戦場にいる。いつ弾やミサイルが飛んでくるかわからない。

どこに地雷が隠れているかわからない。

誰がスパイであるかわからない。

この地上は、神と悪魔の陣取り合戦であり、クリスチャンとノンクリスチャンは程度の差こそあれ、すべてそれぞれのエージェントである。

世界は、天国として作られたのではなく、戦場として作られ、われわれは兵士として生まれてきた。

だから、のんびりできる時間などない。のんびりできるのは、神との会話(祈り)と賛美だけである。

絶えず足を引っ張る者、罠を仕掛ける者が現れて、われわれを貶めようとする。

自分に敵意がなくても、敵としてみなされて攻撃される。

臨終の場で、自分の一生を思い出して、神の国建設のために効率的に活動したと確認できたら成功である。

できなかったのであれば、失敗。

何かに心を奪われて、本来の目標を失ったからである。

2.

自分の人生はどのような人生であったか。

(1)「道ばた」―すぐに種を奪われ、神の国のために何もしなかった人生。

(2)「土の薄い岩地」―迫害や困難に負けて妥協し、神の国のために働かなかった人生。

(3)「いばら」―欲望や心配事に心が占領され、神の国のために働かなかった人生。

(4)「良い地」―神の国のために百倍、六十倍、三十倍の実を結んだ人生。

人生の成功者は(4)だけである。

(1)〜(3)は、悪魔の攻撃によって、無能化され、人生を無駄にした人。

3.

われわれは無数の誘惑と攻撃にさらされている。

そして、(1)〜(3)の人々になるように下向きの圧力がかかっている。

(4)の人になれるよう警戒していこう。

 

 

2016年9月12日



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