若者をその行く道にふさわしく教育せよ


朝祷会:なぜクリスチャンの保守主義者たちはトランプを支持するのか?

2001年2月2日ワシントン

一般に、ドナルド・トランプは、信仰の人としては知られていなかった。しかし、木曜日の全国朝祷会に初めて現れたトランプ大統領は、自らの政治基盤の主要部分を構成する保守的クリスチャンの見解を強く主張すると再確認した。

大統領就任初日に、トランプは、この姿勢を示す一連の行動を取っている。木曜日には、さらに新たな行動を追加した。すなわち、「課税を免除されている教会による政治的発言の禁止」を定めた法律を廃止すると約束したのだ。

トランプは、1954年に定められた「教会が政治候補者を承認したり反対することを禁止する法律」を引き合いに出して、こう述べた。「私はジョンソン修正案を完全に廃止し、徹底して破壊する。私たちの信仰を代表する者たちが報復を恐れずに自由にスピーチができるようにする」と。議会は、この廃案に賛成せざるをえないだろう。

トランプは、選挙活動中にこの公約を掲げていたが、木曜日のこの発言をきっかけに、目標の実現に向けた動きにさらに拍車がかけられることとなった。また、宗教保守派の主張の代弁者としてすでに確立されていた次のような経歴に、新たな1ページが追加された。すなわち、

・頑強な社会保守主義者ニール・ゴーサッチを最高裁判官に指名。ゴーサッチ判事が中絶事件を裁いたことはないが、重要な裁判においては宗教保守派を支持し、医師による自殺幇助や安楽死を批判する本を書いている。

・トランプの副大統領マイク・ペンス及び首席顧問ケリーアン・コンウェイが先週、毎年恒例の反中絶行進 "March for Life"に参加した。ペンス副大統領は、"March for Life"に本人が参加した最高位の政府高官であった。

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1.

これだけを見ると、トランプは、再建主義的である。

「教会が政治候補者を承認したり反対することを禁止する法律」

こんな法律があったとは驚きだが、間違った法律である。

政治は、不可避的に宗教的である。

政治家は、善悪の基準に基づいて行動するので、神の法と必ずかかわりを持つ。

「どの基準によるのか」ということが問題であって、「基準はあるかないか」は問題ではない。

再建主義者は、「神の法を基準とせよ」と主張し、ヒューマニストは「社会の大多数の見解を基準とせよ」と主張する。

ヒューマニストの基準を一言でいえば、"vox populi vox dei"である。

すなわち「人民の声は神の声」である。朝日のコラム『天声人語』はここからきている。

ヒューマニズムとは、人間を神とする宗教なのである。

無色透明、不偏不党、絶対中立などというしろものではない。

オバマのもとで進められたポリティカル・コレクトネスの政策は、「キリスト教の代わりにヒューマニズムを国教とする」ことを目的としていた。

アメリカ人は、これに「ノー」と言った。

なぜならば、ヒューマニズムとは「ルシファー礼拝」にほかならないからだ。

エデンの園においてサタンはエバに何と言ったか。

「神はあなたが賢くなるのが嫌いなのです。食べてしまいなさい。目が開けることでしょう」と。

エバは食べた。

神の言葉を基準とする生き方から、自分の悟りに頼るそれに変わった瞬間である。

アダムとエバはサタンの誘惑に負け、サタンの軍門に下った。

「聖書を絶対的な基準とする」を否定するすべての教えは、サタンのそれである。

このようなことを教える教会に加わると、サタンと一緒に地獄に落ちる。

アメリカの力の源はキリスト教にあった。

しかも、それは、カルヴァンの信仰であった。

ピューリタンたちは、カルヴァン主義者だった。

もしトランプが、アメリカに力を戻したいのであれば、カルヴァン主義に帰るしかない。

ピューリタンの信仰を取り戻せ。

聖書信仰に帰れ。

つまり、再建主義に変わることだ。

再建主義は、ピューリタンの信仰の進化形である。

1973年から1988年の間に体系化が進んだ。

ピューリタン信仰を、しっかりとした体系にまでまとめあげる作業が続いた。

ミレニアムのページでは、この先人の努力の結晶をわかりやすく説明している。

このページに書いてあることをマスターすれば、アメリカの神学校に留学する必要はない。

だいたい、神学校は大切なことを教えない。的が外れている。

大切なのは、「地を従えよ」つまり「いかに神中心の世界を地上に作るか」である。

この一点を外したら、神学教育には意味がほとんどない。

ミレニアムを読んで学んだ後は、骨子ができているので、問題がすっきりと見えてくるだろう。

そこからは、自分で肉付けを行ってほしい。

2.

正統なものを学ぶと、異端が見えるようになる。

正統と異端を区別できるようになるには、まず正統を学び、習熟することである。

正統を十分に知らないうちに、いろんな本を読んで、自分流の考えが固まってプライドが芽生えてからでは遅い。

人間は、頭が柔らかく、吸収できる時期は限られている。

その初期の段階で、変な教えを吸収すると取り除くのが大変である。

北海道弁で育ったわたしは、どうしてもなまりが取れない。(取る必要もないが)

子供の時期に学んだ言葉や癖、習慣は、一生続く。

幼児期に、きちんとしたキリスト教教育をすることがいかに重要か。

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22・6)

 

 

2017年2月4日



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