忍耐をもって善を行なえ
ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、
栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。
神にはえこひいきなどはないからです。(ローマ2・5-11)
多くの人は、人生を無駄に使っている。
「党派心を持ち、真理に従わないで不義に従」っている。
そのため、「怒りと憤りを下される」運命である。
こういう人は近視眼であり、愚か者である。
賢い人は、
「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める」。
彼らには「永遠のいのちが与え」られる。
どの組織でも、前者が増えれば、腐る。
真理に基づかず、「党派心」と「不義」にしたがって行動するから。
たしかに楽である。
腐った連中についていけば、いじめられることもない。
そういうことなかれ主義の人々がその邪悪な少数の人々を黙認して多数派を形成することがある。
組織をよくするためではなく、また、顧客に仕えるためでもなく、ただ「楽をしてお金がもらえる」という理由のためだけに行動するような人々が主流になると、その組織自体が腐って、対外的に魅力を失うので、徐々に衰退していく。
結局、悪と戦わないならば、自分も必ず滅びる。
悪の勢力と仲良くして生き残るなどということはできない。
この世界は、神が支配しておられるので、そういう腐った集団は必ず「集団として」裁かれ、消滅する。
私は党派心に従うくらいならば、死んだほうがましと考えている。
一度しかない貴重な人生を、「真理ではないもの」のために使いたいと絶対に思えない。
だから、私は「〇〇先生のグループ」みたいなものには入らない。
政治力をつけて、強くなって教団を支配して何になるのか。
ただ「怒りと憤り」「患難と苦悩」が待っているだけだ。
彼らは、「かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げている」。
今、それが起きていないから、これからも永遠に起きない、と考えてはならない。
神は悔い改めを待っておられる。
われわれが悔い改めを拒むならば、ある日突然、その「積み上げられた御怒り」が一度に襲ってくる。
神の御声は細い。
しかし、裁きの直前になると大きくなる。
面罵する人々が現れたら、最後のチャンスだと思ったらいい。
それすらも無視したら、一挙に裁きが襲う。
われわれは、「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求め」なければならない。
結果が出なくてもがまんすべし。
善を行う人に必要なのは、「忍耐」である。
目先の利益ではなく、遠くにある「栄光と誉れと不滅のもの」を求めよ。
われわれがいくら正統的な意見を述べても、無視される。
初期のころは、われわれに対する攻撃は激しかった。追放の憂き目にあった。
これは、「入口の試練」である。
今は、無視である。
しかし、真理は着実に広がる。
われわれが忍耐を続ける限り、御国は着実に成長する。
ある会員が、東京の中央の組織に転勤になった。
その業界では、中心的な組織で、仕事で成功すれば、自分に第2の権力が与えられるという。
つまり、全国的に権威のある地位が与えられると。
この兄弟は、ものすごい試練をくぐってきた。
うつ病の最終段階にまで至ったが、奇跡的に回復した。
このように忍耐を通じて、神は人を練られ、高位の地位にふさわしい人物に成長させてくださる。
われわれは、目先のものではなく、「不滅のもの」を求めるべきだ。
遠くにある「理想」のために忍耐して努力を続けるならば、「永遠のいのち」という報いが与えられるだろう。
2014年9月29日
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