神は挑戦し、努力し、常に上を目指している人に栄冠をお与えになる
1.
日本のサッカーの挑戦は、神の国と似ている。
1993年、サッカーの底上げを狙ってJリーグが発足。その年のW杯予選で出場の一歩手前まで行ったが、ドーハの悲劇で敗退。
このイラク戦で、異様なハイ状態で前半終了、休憩時もその状態は続いた。誰も落ち着かせる人がいなかった。後半ロスタイムに失点。
次のフランス大会は、1997年予選の対イラン戦で岡野のVゴールで出場決定。
何か貴重なものを獲得するには「ノリノリ状態」では無理なのである。
1993年時に日本は、W杯出場には精神的に成熟していなかった。
挫折と苦しみを通じて現実に対する畏敬の念を抱くようにならないと、何事もうまくいかない。
W杯出場後もすぐには16強に至らず。2002年は開催国のメリットで強豪国がグループリーグには入っていなかったので決勝トーナメントに進むことができた。真に実力が伴っていなかったことは、翌2006年ドイツ大会での予選リーグ敗退で明らかになった。
実力で16強に達したのが、2010年南アフリカ大会。PK戦で敗れ、惜しくも8強に届かず。
2014年ブラジル大会では、前評判は高かったが、グループリーグで敗退。
今大会は前評判は低く、直前で監督交代。しかし、グループリーグ突破し、16強に。
2.
神の国を拡大するには、まず「神の国を拡大しよう」という動機がなければならない。
日本は「サッカーでW杯に出場しよう」という目標を立てた。
そして、上を目指して努力を積み重ねてきた。
最初から諦めていたら、いつまでたっても世界の強豪チームの仲間入りはできない。
神の御心は、クリスチャンが「地を従えよ」との命令に気づいて、それを目指すことである。
ディスペンセーション主義によって汚染された教会は、「地を従えよ」の命令を無視してきた。
そのため、悪魔の国が地上にはびこることとなった。
3.
神の国の拡大の過程で、挫折はつきものである。
何度も挫折し、失敗し、反省する。
その反省に基づいてはじめて次のステップに進むことができる。
神の国は一挙には実現しない。
その過程は「徐々に」である。
4.
サッカー強国になるには、それなりの精神的な成熟が必要である。
2002年大会で一挙に決勝トーナメントに進み、4強になった韓国の試合は誤審のオンパレードだった。
審判が買収されていたのではないかと疑われている。
韓国対イタリア戦は、エクアドル人のバイロン・モレノが主審を務めたが、試合開始早々、イタリア選手に韓国選手のユニフォームを引っ張って倒したという理由でイエローカードが出され、さらに韓国にPKが与えられた(このPKは得点には至らなかった)。延長13分にはトッティが倒れたプレーがシミュレーションと判定され、2枚目のイエローカードを受けて退場となった。一方で倒れこんでいたパオロ・マルディーニの後頭部に蹴りを入れる、スライディングしてスパイクがジャンルカ・ザンブロッタの尻に刺さる(このプレーでザンブロッタは全治3カ月の重傷を負った)、その他タックルや肘打ちなど韓国選手の半ば常軌を逸したラフプレーに対しては、カードはおろかフリーキックを取ることもしなかった。・・・
さらに延長20分にはイタリアが決めた得点が不可解なオフサイド判定により取り消され、その後韓国の安貞恒がゴールデンゴールを決めてベスト8に進出した。この判定に対し、トッティは「審判を変えて最初からワールドカップをやり直すべきだ」と不満をあらわにし、事態沈静化を図ったFIFAのブラッター会長が大会中に異例の声明を出すほどであった。
(Wikipedia―2002 FIFAワールドカップ)
2018年7月2日
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