パワーはわれわれに固有に備わっているものではない
(1)
バラク・オバマの名前はおかしい。
バラクは、イスラエルを呪おうとした人物の名だ。
バラクは偽預言者バラムに頼んで「イスラエルを呪ってくれ」といった。
しかし、バラムがいくらやっても呪うことができない。
ついにあきらめた。
イスラエル、つまり、神の民には、呪いはきかないのだ。
そこでバラクとバラムは次の対策に移った。
イスラエルに姦淫罪を犯させるようにしたのだ。
罪を犯せば、契約違反だから、自滅するだろうと。
見事に成功した。
イスラエルに裁きが下った。
オバマは、ホモの結婚を容認した。
人々を堕落させることによって弱体化させるという方針なのか。
クリスチャンは、呪術とか占いとかいわゆる超自然的攻撃を恐れるべきではない。
自分がだれかに呪いをかけられているのではないか、などと心配する必要はない。
恐れるべきは、契約違反である。
クリスチャンがダメになるのは常に、身から出た錆によってである。
(2)
クリスチャンが契約を遵守している限りにおいて、つまり、十戒とイエスの命令を守る限りにおいて、神の国は前進する。
イスラエルのカナン侵攻を見給え。
イスラエルが信仰に固くたっていたころは、全戦全勝だった。
敵は次々と自滅していった。
イスラエルは闘うことすら不要だった。
エリコの城壁の周りを7回周るだけでそれは自壊した。
契約に対するわれわれの態度は、自然すら変えるのだ。
われわれが神に従うということは、巨大な力を生み出す。
それは、何も打ち破ることができない巨大な力である。
サタンはこのことを知っているので、クリスチャンの間に疑いを吹き込んだ。
「聖書よりも科学を信じる」などという不埒な牧師や神学者を送り込んだ。
神の言葉を疑うことは、土台の崩壊だ。
クリスチャンの足元は進化論とともに崩れ去った。
19世紀半ばの進化論の登場とともに、クリスチャンから力が消えうせた。
それと同時に、サタンの攻撃が激しさを増した。
19世紀後半から世界は帝国主義戦争に巻き込まれ、ついに、イルミナティ・アメリカが世界を牛耳った。
われわれが勝利するためには、神の言葉への絶対信仰が欠かせない。
少しの疑いも、ダムにできた小さなほころびである。
いずれ決壊に導く。
(3)
プレ・ミレはいずれ崩壊する。
なぜならば、聖書に立たないからだ。
マタイ24章の前兆を、われわれにとって未来に起こると考える。
しかし、あれはイエスが「これらがすべて起こらない限り、この時代は過ぎ去らない」と言われた。
つまり、1世紀に起こるということだ。
今のプレ・ミレの終末預言、終末論は、ことごとくサタンの創造である。
嘘に嘘を重ねた偽預言である。
だから、弱い。
神が支持されないから弱い。
プレ・ミレが教会から追い出されるのも時間の問題だ。
(4)
イエスは「いちじくの木に私がしたことをあなたもできる。いや、山に向かって海に入れといえば、そのとおりになる」と言われた。
いちじくの木は、聖書においてイスラエルを象徴する。
イエスがいちじくの木を枯らしたということは、呪いをかけてイスラエルを滅亡させる預言である。
だから、山が海に入るという話の中の「山」とは国や民族のことだ。
山はローマを示す。当時ローマは7つの山の都市と呼ばれていた。
海は、聖書において滅亡を象徴するので、山が海に入るとは、ローマ帝国が滅亡すると考えるべきだ。
イエスは、クリスチャンに対して「信じて疑わずに祈れば、ローマ帝国を滅ぼすことすらできる」と言われた。
クリスチャンが「疑わずに」祈るならば、巨大なパワーが発生する。
ローマ帝国すら崩壊させられる。
(5)
サタン側の呪いは、クリスチャンには効かない。
逆に、クリスチャン側の呪いは、サタン側を滅亡させる。
ただ、クリスチャン側が疑ったり、罪を犯したりすれば、無能に様変わりする。
われわれの力はわれわれに固有のものではない。
サムソンが髪の毛を剃るとただの人になるように、われわれも、信仰を失い、罪を犯す生活をすれば、ただの人になる。
いやそれ以下になる。
「塩が塩気を失ったら、人々に踏みつけられるだけです」とイエスは言われた。
信仰のないクリスチャン、罪を犯して悔い改めないクリスチャンは、塩気を失った塩、つまり、単なる白い粉であり、何の意味もなくなってしまう。
パワーはわれわれに固有に備わっているものではない。
2012年5月11日
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