クリスチャンの体は神の国の中心である
1.
紀元33年頃、ペンテコステにおいてクリスチャンに聖霊が下ったのは何を意味するのか?
聖霊は神殿にお住まいになる。旧約時代、聖霊はエルサレムの神殿にお住まいになった。
この聖霊が、クリスチャンの体に住むようになったということは、エルサレムの石造りの神殿がもはや機能しない時代に入ったことを意味する。
つまり、旧約のシステムが終了し、クリスチャンの体が神殿となる新しいシステムが開始した。
紀元70年における神殿崩壊は、このことの神の正式な宣言である。
神殿は、聖霊という内在神の、地上におけるお住まいなので、世界の中心である。
世界の中心はエルサレムから、クリスチャンの体に移行した。
神は、クリスチャンの体から世界を支配しておられる。
2.
クリスチャンの体の中には、十戒の二枚の板がある。
かつて、この二枚の板は、エルサレムの神殿にあった。
それは契約の箱の中に収められており、その箱は「贖いの蓋」によって閉じられていた。
つまり、十戒の板が露出して人を害さないように「キリストの贖い」によって遮蔽されていた。
不可避的に罪を犯す人間には、十戒の命令とその刑罰は耐えられない。
キリストが身代わりに刑罰を負ってくださり、人間を贖ってくださったことの印が「贖いの蓋」である。
クリスチャンの体の中にも、この十戒の二枚の板があり、エルサレムの神殿と同じように契約の箱の中に収められ、「贖いの蓋」によって遮蔽されている。
クリスチャンにとって、この板は害を与えない。キリストの贖いの恵みにあずかっているからである。
3.
十戒の二枚の板は、それぞれ神用と人間用である。
家主と交わす家屋の賃借契約書が家主用と借主用の二枚あるのと同じである。
つまり、十戒とは、契約である。
神と人間が互いに契約を守り、正しい関係にあれば、神は栄光を受け、人間は繁栄し、祝福される。
しかし、一方が契約を破れば、違反者として賠償の責任が伴う。
神は絶対に契約を破られないので、違反はもっぱら人間の側の問題である。
人間にとって賠償責任とは「自分の命」である。
それは、肉体的死だけではなく、霊的な死である。
この刑罰を受けることがないために、キリストは人間の身代わりにこの刑罰を受けてくださった。
その贖いによって、人間はたとえ罪を犯しても、キリストの代償的な死によって救われ、神との正常な関係を維持できる。
4.
エルサレムの神殿において、神は契約の箱の「贖いの蓋」の上から支配された。
つまり、キリストの贖罪に基づく神と人間の正常な関係を土台として世界を支配される。
もし贖いの蓋がなく、十戒がむき出しの状態で存在すれば、神殿は神の住まいとして不適切である。なぜならば、契約違反の状態にある神殿は、神の住まいとしてふさわしくないからである。
贖いを否定し、契約違反の状態を放置したイスラエルは、外国の軍隊に攻められ、神殿を失い、捕囚の憂き目にあった。
誰でも頑固に「贖い」を拒み、悔い改めず、契約違反の状態を放置する人間は、神殿であることをやめ、聖霊が離れる。
神は悔い改める罪人を拒まれることはないが、「贖い」を拒む人を受け入れることができない。
罪を犯したら、イエスの贖罪のゆえに赦しを求める必要がある。
これを拒むならば、その人の体には聖霊がお住まいにならない。
「贖いの蓋」の上から神が支配される、ということは、贖罪をたえず求める人だけが、神の神殿として機能することを意味する。
5.
クリスチャンの体は神殿であり、それゆえ、神の国の司令部である。
神はクリスチャンの体を通じて、その御支配を拡大される。
クリスチャンが御言葉にしたがって行動するときに、神の支配は広がり、世界に平和と義と愛と繁栄がもたらされる。
2018年11月3日
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