「いやあ、そんなことを言ったら、ノンクリスチャンは納得しないでしょう。彼らは、聖書が神の言葉であることを証明することを望んでいるでしょう。」
そんなことはない。
なぜならば、ノンクリスチャンには、神が直接語りかけておられるからだ。
なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。(ローマ1・19)
「神が明らかにされた」のである。
神が明らかにされた以上、「わかりません」とは言えない。
ノンクリスチャンは、神からはっきりと神について知り得ることを直接教えられている。
だから、彼らが「神が存在するか、神の言葉が正しいか知りません」というときに、嘘をついているのだ。
ノンクリスチャンは、神の明確な自己紹介を、押し殺して、なかったことにしようと不断に努力している人々である。
彼らは、万事承知の上なのだ。
苦しいときに、神に助けを求めたことが必ずある。
自分が何か後ろめたいことをしたときに、神の目を感じたことがある。
私は、眠っていて夢の中で大きな声を聴いたことが何度かある。
飛び起きて、「今のは何だろう」と驚く。
こんな経験を誰でも何度かあるはずだ。
神は、クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、ご自身をはっきりと啓示しておられるのだから、われわれは、「中立の土俵」に入って神をジャッジする必要はないのだ。
被造物は、ジャッジされることしかできない。
創造主は、ジャッジすることしかなさらない。
この前提を崩すときに、われわれの信仰は崩れる。
そして悪魔の餌食になる。