携挙未来説は神話である


携挙未来説(*)は、ディスペンセーショナリズムの一部であり、完全に間違った教えです。

なぜならば、テサロニケにおいてパウロが誰に向かって語ったか無視しているからです。

パウロは、紀元一世紀に住むテサロニケの人々に向かって述べたのです。

ならば、紀元一世紀に携挙が起きたのであって、われわれの未来に起きると考えることはできません。

一般的には、聖書の主張は「クリスチャンは天において生きていて永遠に祝福される」ですから、われわれは全員携挙されるとも言えます。

しかし、このテサロニケの手紙におけるパウロの主張をそのまま「21世紀に住むわれわれ」に適用することはできません。

この世界にはいろいろ惑わすものがありますが、聖書だけが真理です。

そして、聖書を忠実に解釈してきたクリスチャンの伝統、つまり、カルヴァン派の流れが一番信用できます。

私たちは、その忠実な流れの中でも忠実なものです。

それゆえ、私たちがもっとも聖書を正しく解釈できるグループの一つであると思います。

(*)
携挙が未来起こると考える説。

パウロが紀元一世紀のクリスチャンに向けた手紙の中で携挙は「私たち生き残っている者に起きる」とはっきり書いていますので、紀元一世紀の出来事です。

ディスペンセーショナリズムでは、終末に起きると述べていますが、どこにも補強聖句がありません。

 

 

2013年5月30日



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