紀元70年以前に完結した話をそれ以降の歴史に適用してはならない4
予告編[tomi注:紀元70年以前]の復活については、よく納得できました。本編[tomi注:紀元70年]の復活については、コリント書やテサロニケ書に書かれている騒々しいイメージと比べると、プレテリズムの復活はひっそりとあまり気付かれないうちに起こったようで、「プレミレはシークレット・ラプチャー」「プレテリズムはシークレット再臨」と、タイミングと中身は全然違いますが、シークレットな点が共通しているようです。 新約時代の多くのチャンは、死ぬときに「復活の時を待つ」という思いで死んだと思いますが、実際に死んでみると、ただちに復活のからだが与えられて、プレテリズム以外の人たちはびっくりしているわけですね。 法的な復活は1回限りの出来事で、それまでに死んでいたクリスチャンにはお待ちかねの目に見えるかたちでの復活が実現した。AC70年以降に死ぬクリスチャンは、死ぬときに目に見えるかたちでの復活を順次個別に体験する。復活はなかなか複雑な構造を持っているわけですね。
実際に死んでみると、ただちに復活のからだが与えられて、プレテリズム以外の人たちはびっくりしているわけですね
「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
『彼は万物をその足の下に従わせた』からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。」(1コリント15・22-28)
1.クリスチャンは復活する
2.終わりが来る
3.キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになる。
4.死も滅ぼされる。
5.神が、すべてにおいてすべてとなられる。
「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。」(コロサイ2・15)
2020年9月21日
ホーム