いつも「神様のおかげです」と言うようにしよう


隣人トラブルに巻き込まれたクリスチャンがいて、一緒に「その人の中にいる悪霊を縛る」と祈ったら、急におとなしくなった。

毎日、しきりに壁を叩いていたのだが、ぴたっとおさまった。

それで「昨日祈ったからですね」というと、そのクリスチャンは「いや」と否定した。

すると、次の日、さらに輪をかけていやがらせがひどくなった。

発狂しているとしか思えず、何をするかわからないほど暴れだした。

われわれは、トラブル解決を自分の手柄にしてはならないのだ。

どんなにうまく行っても「主の恵みにより」と言わねばならない。

主に栄光を帰することが危険を回避する最善の方法である。


定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。(使徒の働き12・21-23)

傲慢は、自分を丸裸にする。

神の守りを失う。

毒虫という小さなものによっても滅ぼされてしまう。

裕福になっても「私の腕でこの富は築き上げた」と言ってはならない。

気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。
あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、
あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、
あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。――主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、
燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、
あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった――
あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。(申命記8・11-18)

「心が高ぶり、あなたの神、主を忘れ」「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言い出したら、その人には滅びが近付いている。

以前所属していた教会の牧師は、大問題が発生して、ほとんどの教会員が去る前、しきりに「私が伝道したから、みなさんはここに集まっているのです」と語っていた。

「牧会生活40年」というフレーズもよく口から出ていた。

われわれは「すべては神様の恵みです」と言う癖をつけるべきである。

なについても神に栄光を帰していれば、傲慢という罠に陥らずにすむ。

人に対しては堂々としている必要があるが、神に対しては「私は愚か者です。知恵のない者です。すべてはあなたが祝福してくださったからです。ありがとうございます。」と絶えず口にすべきだ。

「俺は天才だ。知恵がある。うちの〇〇は日本一だ」などと言う人がいたら「ああ、悪魔の誘惑にかかりたい人だな」と思う。

SNSなどでも、キリスト教の悪口を書いて、何度言ってもやめない人がいるが、一二度警告したら放置する。

いろんな変なことが起きるだろう。

長年クリスチャン生活をしていると、だいたいおかしいことが起きる人が見分けられるようになる。

芸能界で大物になって天狗になっている人を見ると、大失敗が近付いているなとわかる。

人間は弱いもので、人気が出て、ギャラもアップすると、必ず天狗になる。

そして、自分で天狗になっているかどうかわからない。

自分で自分がどういう状態かわからなくならないためにも、いつも「神様のおかげです」と言うようにしよう。

 

 

2017年6月2日



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