賢い人は訓戒を貴び、叱責を厭わない
主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、
邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、
まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。(箴言6・16-19)
神が憎まれることをすれば、その人は、決定的にまずい状態にある。
人に憎まれても、なんとかなる。和解したり、逃げたりできる。
しかし、神に憎まれたらどうだろうか。
絶対権力を持つ神に憎まれたら、おしまいである。
永遠の地獄である。
では、神はどのような人を憎まれるのか。
(1)高ぶる目
高慢な人間は神に憎まれる。
ちょっと経済状況がよくなって金持ちになったとたんに、傲慢になって、周りを見下すような人は、神に憎まれる。
(2)偽りの舌
嘘つきは神に憎まれる。嘘をつくことが文化になっているような韓国人とか中国人は、神に憎まれている。
(3)罪のない者の血を流す手
冤罪をつくり出す者。データを改ざんし、人を陥れて、罪に定める検察は、神に憎まれている。
無辜の人々を襲って殺す者。殺人者に憐みをかけ、死刑判決を下さない国は、神の敵であり、神に憎まれている。
(4)邪悪な計画を細工する心
武力による世界制覇などをたくらむ邪悪な王。世界を自分の支配下に置こうとしている中共は神に憎まれている。
共謀してある教会の教会堂を略取するような教団。神の憎しみの下にいる。
(5)悪へ走るに速い足
簡単に悪を行う人。躊躇せずに罪を犯す人。彼らは神の憎しみの対象である。
神に愛されている人は、悪から離れようとする。
(6)まやかしを吹聴する偽りの証人
偽証する人。真実を中心に生きるのではなく、偽りを信じて、偽りの中にとどまることを選択するような人々。
他国の領土を略取し、それを自国のプライドにまでし、世界中で自分たちの主張を強力に主張する韓国は、偽りの証人であるから、神に憎まれている。
(7)兄弟の間に争いをひき起こす者
他人が悪口を言っている場合、その悪口を本人に伝えないほうがいい。
なぜならば、伝えても争いが起きるだけだから。
できるだけ仲間の間では平和を維持できるように努めること。
仲間内に争いごとが起きることを喜ぶ人々は神の敵であり、神に憎まれている。
わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。
それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。
これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。
命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。
これはあなたを悪い女から守り、見知らぬ女のなめらかな舌から守る。
彼女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕えられるな。(箴言6・20-25)
(1)
<一般に>
両親の教えには、「子が教訓として守るべき教え」が含まれている。
年月は無駄に積み上げられているわけではない。
民族は、独自の教訓を編み出して、それをことわざとか箴言としてまとめている。
親を敬わない人は、そのような尊い遺産を自ら否定する愚か者である。
民族の古典を捨て、先祖からの教訓を軽んじる民族は、自殺の過程にある。
<特別に>
この箇所の「父の命令」と「母の教え」とは、聖書である。
ここで父母とは、イスラエル人である。イスラエル人は聖書を学び、知恵を得ている。
だから、父母の教えに逆らうことは、聖書に逆らうことだ。
(2)
「あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ」。
知恵の教えこそが人生で最も重要なものである。
学問ではない。物理学でも経済学でもない。
父母が聖書から示す知恵こそが人生で最も重要なものだ。
だから、首の周りに結びつけるほど身近に接し、常に反復すべきだ。
いくら学問的知識を身に着けても、知恵の教えから離れれば、それは自分にとって決定的に害となる。
ものすごい学識を身に着け、高い地位についても、収賄や痴漢をして捕まったらおしまいである。
人生の基本である父母の教えを捨てる人は愚か者であり、必ず実を刈り取る。
(3)
「あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける」
知恵は、日常生活においてわれわれを導いてくれる。
知恵を捨てることは、歩く時の導き、寝るときの守り、目覚めるときの話かけを捨てることを意味する。
つまり、自らを危険な暗闇に投げ込むのである。
(4)
「命令はともしびであり、おしえは光であり、訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ」
聖書に記されている命令は、「ともしび」である。
近年、聖書法を嫌う傾向がある。
ノンクリスチャンもクリスチャンも、聖書法を無視し、道徳的アナキズムを選択している。
これは、「ともしび」を消しているのである。
暗闇で懐中電灯を捨てるようなもの。
「おしえは光」である。
聖書の教えは、われわれを照らす光。
悪魔の教えは、暗闇。
聖書を読むことによって、われわれは悟りを与えられる。
善悪の区別を知る。
だから、真の啓蒙とは聖書である。
無神論教育で教えられている進化論とか共産主義は、悪魔の啓蒙であり、われわれを滅ぼす教えである。
「訓戒のための叱責はいのちの道」である。
誰かが愛を持って自分を戒めてくれたら、それはいのちの道である。
訓戒を嫌う人は、いのちの道から落ちこぼれる。
若者であれ老人であれ、聖書的訓戒に逆らう人は滅びる。
(5)
「これはあなたを悪い女から守り、見知らぬ女のなめらかな舌から守る。彼女の美しさを心に慕うな。そのまぶたに捕えられるな」
訓戒を嫌う人は、ハニートラップにかかる。
頑固で他人からの忠告を聞かない人に、悪魔は「悪い女」を送り込む。
頑固になると、「美しさ」だけしか見えず、その性質の邪悪さに注意できなくなる。
そして、結局「いのちの道」から引き離されて奈落の底に落とされるのである。
賢い人は、訓戒を貴び、叱責を厭わない。
2012年8月29日
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