金持ちになれるように祈ろう2


「金持ちになる」ということには二面性がある。

聖書では、契約の民に「物質的祝福」が約束されている。

申命記の契約条項においてそのように神が明示された。

だから富を得ようとするのは間違いではない。

ただし、反面、それには条件があることを忘れてはならない。

「御言葉を守り行うならば」という。


もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。

金持ちになるのは、契約履行に伴う神の約束である。

だから、「御言葉を守らない」ならば、実現しない。

富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。(箴言23・4)

忠実な人は多くの祝福を得る。しかし富を得ようとあせる者は罰を免れない。(箴言28・20)

金銭が得られるのは、地を従えるためである。

倫理をわきに置いたむきだしの権力、富を得ることを求めることではない。

神の国とその義を第一とするときにわれわれの必要は与えられる。

お金だけを求めること、それを求めてあせる人は罰せられる。

まず「忠実」。

その結果としての「富」である。

 

 

2014年1月22日



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