ものそのものを禁止することはできない


子供は、お菓子を与えると腹一杯食べることがある。

大人は、食事に差し支えがあるので、ほどほどに食べる。

だから、タバコや酒に限らず「程度を知らない」子供には、自由が制限される。

大人でも、体を壊すほどにお酒を飲む人は、精神的な子供である。

大人が大人として扱われる理由は「総合的に物事を判断し、正しく自分を律することができる」からである。

20歳を超えても、自制心がなく、なんでも限度を超えて摂取するならば、その人は大人として信頼されず、自由を制限される。

タバコや酒など、神が創造された嗜好品のあるものは、自制心のある人、つまり、大人向けである。

「程度を知っている」人のために神はこれらを創造されたのである。

もし誰かが、神の創造されたこれらのものを「全面的に有害である」との理由から禁止するならば、その人は「程度を知らない」子供である。

神が「人のために」お与えになったものを「アル中」や「副流煙」などの理由から全面禁止する人は、神を悪者扱いしている。

今流行している禁煙運動は、神を悪者扱いする「非聖書的な運動」である。

われわれが神の被造物に対して取るべき態度は「それを利用する動機が正しいかが重要であって、ものそのものは問題がない」である。

「ものそのもの」は神の被造物であるから「よいもの」である。

タバコも酒も「よいもの」である。

ただし「利用する人が神の栄光を現すという動機を持たない場合」それは悪になる。


主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。(ローマ14・14)

「悪いことなんだけどなあ」と思いながら行うと、それは「悪」になる。

なんでも信仰によらずに行うことは悪である。

ものそのものを禁止することはできない。

「程度を知らない人」や「罪悪感を持っている人」が利用すると悪になる。

 

 

2017年12月16日



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