黙示録の執筆年代は60年代である


黙示録は執筆年代についてAD60年代とAD90年代の2つの説がある。

私を含むプレテリストは、60年代説を取るが、プレ・ミレの人々は90年代説を取る。

現在、90年代説の主要な 目的は、プレ・ミレの擁護である。

90年代説を採用した場合決定的におかしくなる点は、

「666という数字を読み取れ」とヨハネが言った相手である紀元一世紀の小アジアの7つの教会のクリスチャンは、なぜ読み取れないものを読み取れと命令されたのか説明できないということである。

ネロは60年代に死んでいる。

だから、もし90年代に執筆されたとすれば、666はネロではない。

じゃあ、これは誰なのか。

プレ・ミレの人々は、これはわれわれの未来に登場する政治的独裁者であり、世界を征服する人物だという。

ということは、ヨハネが宛てた紀元一世紀のクリスチャンは「読んでも読み取れない人物について『読み取れ』と命令された」ということになる。

そして、かなりの量があるヨハネ黙示録のほとんどが、読者にとってチンプンカンプンのものであったということにもなる。

ローマ皇帝による迫害下の苦しみの中にいるこれらのクリスチャンは、どう感じただろうか。

序文において「あなたがたを励ますために」とあるにもかかわらず、膨大な無意味なことが書いてある「手紙」を受け取って。

わけのわからない「読者は読み取るように」との命令を受けて。

「すぐに起こる」と期待させておいて、2000年間も起こらないはずの「預言」に対して彼らはどう思っただろうか。

「ふざけるな!」と言いたくなっただろう。

もしくは、頭の中に「???」の文字が浮かんだだろう。

黙示録は、60年代に執筆されたとしか考えられないのだ。

90年代説は間違いである。

「聖書には、直接の読者が読んでわからないことは書いていない」というのは、聖書読解の基本中の基本の原則である。

それから、90年代説を取る人々は、「どうして、666の数字はヘブル語で読み解くのか」と問う。

ヘブル語綴りで「ネロ・カエサル」は666になる。

これは、ヘブル語の文字一つ一つに数字が割り当てられているからである。

「どうしてヘブル語なのか。ギリシャ語を話す人々に」と彼らは尋ねる。

そもそも、黙示録は預言文学である。

旧約聖書の預言の象徴表現がふんだんに出てくる。

黙示録は、構造がエゼキエル書と並行している。

つまり、ユダヤの書物なのだ。

だから、暗号にヘブル語を使用しても無理はまったくない。

当時のクリスチャンにはかなりユダヤ人がいたし、ユダヤ人と異邦人の間に亀裂があっても、それでも影響はかなりあった。

異邦人を伝道したのがユダヤ人であれば、当然だろう。小アジアのかなりの諸教会は、ユダヤ人パウロによって開始された。

ヘブル起源の教えを受けた人々がヘブル語に違和感を感じるはずがない。

しかも、暗号である。いくつか「ひねり」を加えるのは当然だ。

黙示録の執筆年代は、60年代と考えるほうが、はるかに合理的である。

 

 

2012年6月29日

 

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