ハイパープレテリズム(フルプレテリズム)の批判において、ケネス・ジェントリーは、「携挙は未来に起きるとする教え」を正統派の教えに含めているが、はたしてそうだろうか。
It teaches that the total complex of end time events transpired in the first-century: the Second Advent, the resurrection, the rapture of the saints, and the great judgment.
「それ(ハイパープレテリズム)は、終末の出来事の全体―つまり、再臨、復活、聖徒の携挙、最後の審判―が第1世紀に起きたと教える。」
https://postmillennialismtoday.com/2014/02/26/hyperpreterisms-empty-proof-text/
パウロは携挙は自分の生存中に起きると述べている。
「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。 …
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・15, 17)
この「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」(15節)は原語で、
hemeis hoi zontes hoi perileipomenoi eis ten parousian tou kyriou
であり、意味は、
we the living (the) remaining into the coming of the Lord
「主の来臨まで残っている生者であるわれわれ」
である。
eisという前置詞は本来「中へ(into)」という意味も有し、「主の来臨の時が来るまで『十分に』」というニュアンスを表現する。
つまり「来臨のときにもまだ生きている」ことを強調している。
17節「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う」のは、「生き残っている私たち」(これも15節と同じhemeis hoi zontes hoi perileipomenoi)である。
つまり、携挙されるのは、パウロの同時代の人々。
だから、携挙はすでに紀元1世紀に起きたと考えるべきである。