2度の清めを重視すべきだ2
フルプレテリズムとプレ・ミレのいずれを信じても、悲観主義に陥るしかない。
1.
フルプレテリズムの場合、すでに世界は完成されていて、大宣教命令もすでに紀元一世紀に成就したと考えるから、クリスチャンにはやることがなくなってしまう。
諸国民を弟子とする必要もなくなる。
そして、反キリスト的な現在の世界をありのままに受け取る以外にはなく、改善する必要性もないので、伝道活動に意味がなくなる。
しかも、「天地が滅びない限り、律法の一点一画も地に落ちることはない」の御言葉から、紀元70年に「天地は滅亡した」ので、「律法は無効化した」と結論する。
律法が無効化したので、人は罪を犯す可能性が消失したと。
罪の赦しとは、環境の変化によってもたらされるのであって、キリストの十字架の死による代償によってもたらされるのではないとする。
つまり、フルプレテリズムを信じることによって、異端に陥ることになるのだ。
だから、われわれは、フルプレテリズムの人々をクリスチャンと呼ぶことはできない。
2.
プレ・ミレの場合、すでに述べたように、この世界を「いまだに聖められていない世界」とみる。
つまり、法的にも世界はキリストによって奪還されていないと信じる。
そして、「この世界は、サタンの世界である」と定義し、「世界が回復されるには、キリストの再臨を待たねばならない」と考える。
だから、今の世界においてクリスチャンが何をしても成功することはできず、黙示録が示す反キリストによる世界支配によってクリスチャンの業はすべて失敗するとする。
このような教えには、聖書の証明がまったくない。
聖書は一貫してクリスチャンが勝利者であり、サタンは敗北者であると説いている。
悪魔に立ち向かえ。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去る。(ヤコブ4・7)
「世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか」(1ヨハネ5・5)
2013年5月11日
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