クリスチャンだけが真の統治者・宗教家・科学者である2
ある福音派のクリスチャンから「あなたからは聖書に関して教えてもらうが、教育や政治について教えてもらいたくない。あなたは教育や政治の専門家ではないから」と言われた。
もちろん、ノンクリスチャンの専門家の知識や知恵を軽んじるつもりはない。
しかし、ノンクリスチャンの専門家の知識をそのまま鵜呑みにすることはできない。
クリスチャンは、たとえ専門家ではなくても、聖書に照らして彼らの意見を判断する権威があるし、また責務を負ってもいる。
教育や政治について、クリスチャンこそが権威者である以上、最終判断はクリスチャンが行うべきである。
科学者がいくら研究を通じて進化によって生物ができたと述べたとしても、クリスチャンはそれを受け入れてはならない。
神の言葉である聖書があらゆることがらについて最終権威であり、それを判断基準としてもつクリスチャンだけが正式な最終判断者である以上、あらゆることがらについてクリスチャンに聞くべきである。
「専門家のノンクリスチャンを最終権威とするつもりだ」というのは、背神である。
偶像礼拝である。
それゆえ、どの領域においても、クリスチャンの専門家を要請する必要がある。
そして、クリスチャンの専門家は、ノンクリスチャンの専門家よりも専門分野について精通していなければならない。
最終権威にふさわしい人間になるべく努力しなければならない。
ノンクリスチャンの学会で受け入れられないのであれば、クリスチャンの学会を独自に作るべきである。
どの領域についても、聖書的有神論の立場にたつクリスチャンの学会を作り、聖書的で首尾一貫したグループを作るべきである。
経済的な必要から学会がコントロールされないように、クリスチャン実業家は、クリスチャンの学会に資金を提供し、聖書的な学問を発展させるために支援しなければならない。
ノンクリスチャンの学問は自殺的である。
なぜならば、ノンクリスチャンは、人間を殺そうとしている悪魔に支配されているからである。
そのため、ノンクリスチャンの学問が進めば次第に自滅の方向に向かう。
結局、ノンクリスチャンの支配する領域は、時間の経過とともに、クリスチャンの支配する領域に負け、最終的にクリスチャンが指導権を確立するだろう。
教育の分野でその傾向が顕著になるだろう。
親は、ノンクリスチャンの学校よりも、クリスチャンの学校に入れることを望むだろう。
クリスチャンに神の命がある以上、これは、規定のコースである。
必然的にクリスチャンのグループが勝利するのである。
だから、ノンクリスチャンに妥協してはならない。
学会に受け入れられるために、聖書と矛盾した学説を唱えるクリスチャンは、自分の人生を無駄にしている。
神の国のために働かなかった時間はすべて無駄である。
ノンクリスチャンに評価されるために努力するのではなく、聖書的な学説を確立するために人生を使うべきである。
ノンクリスチャンに評価されるために努力しても、ノンクリスチャンといっしょに滅びるだけである。
聖書的な努力は、必ず勝利するのである。
神はクリスチャンに世界を支配させようとしておられるのだから、忍耐して、独自の体系を作り、発展させるべきである。
2016年2月6日
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