三神論は異端である18


1.

現代人は、教えを重視しない傾向がある。

「神学論争などやらずにもっと実質的なことをやれ」というフレーズが国会議員の口にしばしばのぼる。

しかし、神学は社会の基礎である。

神学が間違うと、間違った社会ができる。

共産主義がその好例である。

神学的に欠陥のある共産主義が支配したソ連は地獄を見た。

それゆえ、神学的な正しさを厳しく求める必要がある。

この面での妥協は、社会組織の死を意味する。

2.

「あなたは、クリスチャンですか。私もですよ。お互いに同じ神を信じていますね。」

もし神の定義が違っていたらこのような会話は成立しない。

一方は「神は一人しかおられず、父子御霊は、同じ本質の変化である。温度が変わると同じ水でも固体になったり液体になったり気体になったりするのと同じである。」と考えるサベリウス主義者であるかもしれない。

他方は「神は三人おられるが、その間に同一の性質や力や永遠性はなく、互いに契約的に一人ではない」と考える三神論者かもしれない。

まったく別の神を信じている人同士が「同じクリスチャン」と言えるだろうか。

定義が一致していない事柄について議論しても無駄である。

内容の異なる神を信じている二人が議論しても無駄である。

神とはどのようなお方か。

聖書に厳密に基づいて、その内容を吟味することは、信仰生活の基礎中の基礎であり、それゆえ、今回の「三神論は異端である」シリーズはきわめて重要なので、ぜひ何度も読んで考えていただきたい。

 

 

2018年11月29日



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