問題を明確にしない限り慰安婦制度について正しく謝罪できない
1938年に軍が通達で「拉致の類の募集方法は、軍の威信を傷つけ、社会問題に発展する恐れがあるので」禁止すると述べている。
そのため、拉致に類する強制徴用があったとすれば、それは、業者や軍人が命令違反として行なったのか、軍そのものが通達と矛盾して行ったことなのかを明確に区別しなければならない。
前者の場合には「当局の管理不行き届き」の問題であり、後者の場合には「当局が自分が発した通達に矛盾した行動をとっていた」ということになる。
謝罪をするにしても、前者と後者では意味がまったく異なる。
たとえて言えば、前者は、子供が万引きをして、それが父兄の管理不行き届きによって起きた場合であり、後者は、父兄が教唆して子供にやらせた場合である。
罪の重大性はまったく違う。
米国議会による、慰安婦非難決議では、IWGによる報告書が用いられたが、IWGは当局による「方針としての」強制性を示す文書はなかったと結論されている。
では、もう一つの根拠となった文書であるLarry Niksch「Japanese Millitary’s ”Comfort Women” System」,2007では、どうだったのだろうか。
まず、慰安婦制度に関する歴史が概観されている。
1.吉田清治証言。
2.元慰安婦による慰安婦訴訟開始。
3.日本軍から地方警察及び在韓植民地政府官吏への慰安所設置命令。
4.1992年の韓国外務省の慰安婦報告書に、「志願」しない場合、数千人の女性がかき集められ、脅迫されたと記されている。7万から8万人の韓国人慰安婦がいたと推定した。
5.台湾のシニカ学院歴史学教授チュ・テランが1990年代後半に発見した一連の文書には、中国における慰安所設置の契約が日本軍と「台湾開発企業」との間で結ばれたと記されている。
6.他の文書でも、これらの慰安所に慰安婦を送るように台湾総督府による同企業への命令が記されている。
7.1992年吉見義明の自衛隊図書館での調査。1937年から1945年までの日本占領地域において慰安所設置命令を記した多数の文書を発見。朝日新聞にこれらの文書を渡して、朝日は特集を組んだ。
8.日本政府は、政府と軍の慰安婦制度への関与を認めた。
9.宮沢政権が調査。1992年の調査書では、日本軍による慰安所での関与と動員を記した127の文書を開示。
10.加藤紘一官房長官が政府の慰安婦制度への関与を認めた。
11.1993年8月4日の第2次調査において、慰安婦募集者は意志に反する動員を行ったと公表。政府関係者が直接動員に関与したケースもあった。
12.結論として、多くの慰安婦が長期間、軍の捕虜として生活した。
13.その結果、河野談話において、河野官房長官が慰安婦制度は「当時の軍当局が関与した活動であった」と認めた。
14.その後の外務省のステートメントは、河野談話を「謝罪と後悔」の談話とみなしてきた。
2015年5月10日
ホーム