人が捨ててもイエスが拾ってくださる


イエスの公生涯の時代、パリサイ人がイスラエルを支配していた。

パリサイ人とは、バビロン生まれの偽の教えであるミシュナーを信じる一派であった。

つまり、今でいえば、イルミナティにイスラエルは支配されていた。

状況は、今日と似ている。

イエスに目が見えるようにしてもらった盲人は、自分のことをパリサイ人たちに話すと、除名された。


そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」
彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません」と言った。
彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。
ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。
こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」
すると、パリサイ人の中のある人々が、「その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ」と言った。しかし、ほかの者は言った。「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行なうことができよう。」そして、彼らの間に、分裂が起こった。
そこで彼らはもう一度、盲人に言った。「あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」彼は言った。「あの方は預言者です。」
しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出して、
尋ねて言った。「この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。それでは、どうしていま見えるのですか。」
そこで両親は答えた。「私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。
しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう。」
彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。
そのために彼の両親は、「あれはもうおとなです。あれに聞いてください」と言ったのである。
そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
そこで彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。」
彼は答えた。「もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
彼らは彼をののしって言った。「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。
私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」
彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。
神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。(ヨハネ9・10-38)

サタンに取りつかれた人々は、本物のクリスチャンを教会から追い出す。

これは昔も今も変わらない。

追い出された人を、イエスは探し出された。

イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して

サタンに取りつかれた人の教会から追い出されても、イエスはわれわれを探し出してくださる。

そして、ご自身が「人の子」つまりキリストであることを明らかにされる。

イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」

われわれは、人の社会から追い出されても心配はない。

イエスは、必ずわれわれを探し出して真理を教え、本当の教会に入れてくださる。

われわれにとって重要なのは、偽りの人間関係の中にいることではなく、「イエスをキリストと信じる仲間」、つまり、真の契約に入ることである。

今のようなイルミナティに支配されたキリスト教界から追い出されても、何も問題はない。

イエスご自身がわれわれを拾って仲間にしてくださる。

それでいいではないか。

 

 

2015年5月27日



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