人を恐れず、しかも、組織に従順に仕えることができる


(1)


一、独立の気なき者は、必ず人に依頼す。 

一、人に依頼する者は、必ず人を恐る。 

一、人を恐るる者は、必ず人にへつらう。 福沢 諭吉

「依頼」とは「依存」の意味だろう。

対人恐怖とへつらいの原因は「独立心」のなさである。

独立しようとしないから、人が怖くなる。怖くなるから、人に取り入ろうとする。

人に取り入ろうとすると、人から軽蔑される。

人から軽蔑されるから、人が離れていく。

人が離れるから、やっていけなくなる。

独立を求めないと、結局やっていけない。

結局、独立するしかない。

(2)

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29・25)

頼ることはいつでも悪か?

ノーだ。

ここでは、「人を恐れるな」と教えられている。

そして、その代わりに「主を恐れよ」と。

依存が間違いなのではなく、人に依存することが間違い。

主に依存すればよい。

(3)
独立しようとしないと、人を恐れるようになる。

人を恐れるようになると、罠にかかる。

だから、自立心がないということは、自分を無数の罠の中に放置することに等しい。

ジャングルでの戦いは非常に危険である。

敵が罠を張っている。

大きな落とし穴を掘って、その中に先の尖った杭を何本も立てている。

落ちれば串刺しだ。

木と木の間に見えない糸を張っている。

引っかかると、爆弾が爆発する。

木に紐で結びつけられた先の尖った杭の束が落ちてくる。

こういう危険に満ちている。

人を恐れて自分を救おうとする方法は、かえって自分を危険にさらすことに等しい。

あなたの前には、2つの道がある。

主を恐れる道と、人を恐れる道。

前者は平らで何も危険が潜んでいない平和な道だ。

後者は無数の罠が仕掛けられているジャングルの道。

どちらを選択するか。

もちろん前者だ。

人の顔色をうかがい、有力者を恐れることは、ジャングルの中に入ること。

もちろん、社会生活の中で無用に傲慢に振る舞うべきではない。

その組織の秩序を重んじて上の権威に従うべきだ。

しかし、「主のゆえに」服従すること。

人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても(1ペテロ2・13)

人を恐れるがゆえに従うのではなく、主を恐れるがゆえに、従う。

クリスチャンは、もっとも有能な組織人である。

なぜならば、主に対して誠実に従うことを、人に従うことによって表現するから。

クリスチャンは、上司に対して誠実に振る舞うべきだ。

なぜならば、それは主に従うことだから。

上司に従えば、それを神は主に従ったとみなしてくださり、報いがある。

「人の立てたすべての制度に」おいて、われわれは、神に対する誠実さでもって奉仕する。

「これは、人の制度でしょ?どうでもいい」ということではない。

「この人がたてた制度は、実は、神がその背後において立てた制度だ」と考える。

われわれは、組織と上司にとって、もっとも有益な行動を取るべきだ。

その行動を通じて、われわれは神に対して宝を積み、報いを受けることができる。

(4)

独立は反逆を意味しない。

組織において、消極的ではなく、積極的に奉仕し、組織のために活動すべきだ。

クリスチャンは、人を恐れず、しかも、組織に従順に仕えることができる。

 

 

2013年8月4日



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