大崩壊した神の国の立て直しが必要である
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。(ローマ8・28−29)
神を愛する人々とは、「神のご計画に従って召された人々」である。
自分から神を選択したのではない。
神が自分を計画にしたがって選ばれた。
神が予定していない人は、神を愛することができない。
「神を愛するかどうか」は「神の選びの問題」であり、神に予定されていない人は表面上は牧師であっても、神を愛していない。
だから、神の御心と別のことをする。彼らの活動は、神中心ではなく、自分中心である。
どれだけ「神の愛」を口に出しても、内側が生まれ変わっていないので、結局は自分の王国の建設しかできない。
信仰に入りたてのころから、2つの疑問が頭の中にずっとあった。
それは、
(1)なぜ歴史全体を貫く神の計画について牧師は説教しないのか。
(2)なぜ神の法について説教しないのか。
である。
(1)については、イルミナティが教会に侵入したからである。
イルミナティは、悪魔の計画を実行するために、神の民が地上において生かされている理由を教えたくない。
「なぜ人間は生まれてきたのか」「歴史はどのように進むように計画されているのか」。
こういう疑問に答えようとしない。
これらについてクリスチャンが確信を持つことを嫌う。
なぜならば、戦闘集団が形成されるからである。
「御国のために不退転の決意で活動するクリスチャン」が育つとまずいのである。
だから、聖書的歴史観の全体像をつかめないようにしている。
聖書的歴史観とは、次のようなものである。すなわち、
人間は、神の国のために創造された。
地上に神の国を広げ、ついには地球全体を神の王国とすることが人生の目的である。
そのために、イエス・キリストが十字架にかかり、万物の法的権利を獲得された。
この法的権利に基づいて、クリスチャンは実践と祈りを通じて、徐々に世界を征服する。
世界征服が完了した時点で、歴史が終わり、永遠の世界が到来する。
永遠の世界において、どれだけこの働きにおいて努力したかが評価され、各人に永遠の報いが付与される。
現在、どの教会においても、このような歴史観は教えられていない。
イルミナティがそれを教えないように、神学を変えたからである。
「世界征服など夢・妄想に過ぎない。世界は反キリストによって征服される。われわれは再臨のキリストを待つ以外に選択肢はない。」と教えられているので、神の国の拡大のために努力しない。
教会で教えられる教えは、「歴史的な方向性がない」。
すなわち、「われわれはどこから来て、どこに向かっているのか」を教えない。
(2)今日、教会では、神の法について説教されない。旧約聖書からの説教は非常に少ない。
なぜか。
「法は不要だ。イエス・キリストによって律法は廃棄されたから」と教えられているからである。
旧約律法から神の御心を学ぶことがないので、具体的な生活における指針を失っている。
これもイルミナティが「神の民に地上を支配させたくないため」である。
ルシファーが世界を支配するためには、神の民が地上支配の指針を教えられない必要がある。
そのために、神学が変更された。
ディスペンセーショナリズムの影響により、教会では神の法は無視される。
その代わりに、クリスチャンは、啓蒙主義、つまり、「ルシファーの光」によって照らされている。
だから、教会が左翼化したのである。
かつてのキリスト教圏は、総じて、ルシファー教圏に変わった。
ヨーロッパもアメリカも、ルシファーの光に照らされ、ヒューマニズムの社会学、政治学、経済学が支配している。
教育機関は、聖書の法によるのではなく、ルシファーの法によって子供たちを教育する。
20世紀は、キリスト教圏の大崩壊の時代である。
われわれは、この2つの点(1)(2)において反省し、反撃に出なければならない。
聖書的歴史観と神の法の回復が必要である。
ミレニアムが、ポスト・ミレとセオノミーを強調するのはそのためである。
2015年12月12日
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