オーバン・アヴェニュー神学は異端以外の何物でもない6
静岡聖書神の国キリスト教会の稲野晴也師からのメールをご紹介する。
HPの質疑応答ページに、オーバン・アヴェニュー神学とフル・プレテリズムについて表示いたしました(一番下)。
http://sbkcc.net/qanda.html#5
教会は、二契約説とパーシャル・プレテリズムに立っております。
オーバン・アヴェニュー神学が間違っていることを説明する説教もいたしました。
具体的には
@アダムに与えられていたのが「業の契約」でなかったとすると、キリストの遣わされた意義と理由が歪んでしまう
AFVは行為義認であって、「良い行ないを続けられなければ救いに至ることが出来ない」などというある教会員の方もいる
Bアダムに与えられていたのが「業の契約」でなかったとすれば、犯した罪のゆえに契約から追い出されたのは一体なぜか
…ということなどを語らせていただきました。
フル・プレテリズムにつきましても、我々がなにを行なうべきか分からなくなってしまいますし、義認をイエス・キリストの贖いに求めないのですから、受け入れておりません。
聖書では、旧約預言者たちは、旧約世界の終焉を、天地の崩壊として描いている。だから、紀元70年に、天地は滅びた。マタイ5・18に、「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」とあるので、紀元70年以降、律法は不要になった。だから、人はもはや裁かれない。律法がないので、裁きもなくなった。
それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。(ローマ3・31)
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17)
2014年4月17日
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