南朝の復活は日本におけるキリスト教勢力の復活ではなかったか


フェイスブックで友人となった人々に、楠木正成の子孫のN氏がいる。

彼は河内の出のクリスチャンで、南朝そのもの。

最近友人になったH氏は、北畠親房の子孫。

もちろん、親房と言えば『神皇正統記』の著者。

明治維新の志士たちは、この本を読んで、南朝の復活を目指したという。

すでに紹介したように、北朝の人々は天皇を軽視する俗物でエサウ的な存在。


足利方の土岐寄遠(とき・よりとお)という武士は、北朝初代天皇であった光厳上皇の行列に出会っても、馬を下りようとしなかった。上皇の先駆けの者が「光厳院がお通りになるのか分からないのか」と叱りつけると、土岐は「院だろうが犬だろうが、そんなこと知るものか、犬ならば射てみよう」と言って、院の輿(こし)に矢を射込ませた。

足利直義はさすがに驚き、土岐を死刑にした。これを聞いた武士たちは大いに恐れ入って、「上皇に出会ってさえ馬から下りなければならないのであれば、両御所(尊氏、直義)に出会ったときは地面に這いつくばらねばいけないのだろうか」とささやき合ったという。
(p 175)

吉野時代は、苦しい時であり、悲しい時でありました。しかしその苦しみ、その悲しみの中に、精神の美しい輝きがありました。日本国の道義は、その苦難のうちに発揮せられ、やがて後代の感激を呼び起こすのでありました。これに反して室町の182年は、紛乱の連続であり、その紛乱は私利私欲より発したものであって、理想もなければ、道義も忘れ去られていたのでした。
(p 245)

http://www.mag2.com/p/news/148718/3?l=bfo055b23d

私には、北朝の人々と今の韓国の人々がだぶって見える。

皇室や神仏に対する恐れのなさ。

安重根が伊藤博文を襲った理由は、「伊藤博文が天皇の父を毒殺したから」。

つまり北朝側の視点から見ている。

足利氏と中国のつながりを見ても、どうも北朝は今の民主党のようなものではなかったのか、と思えてくる。

北朝藤原氏の末裔近衛文麿や伏見宮博恭王らがコミンテルンやロックフェラーとつるんで日本の滅亡をもたらした。

日本は北朝によって十字架につけられ、明治天皇において復活したのではないか。

物部氏の祭司忌部氏が、明治天皇になってから大嘗祭で着る鹿服(あらたえ)の献上を復活した。

つまり、明治天皇までの北朝天皇を正統な天皇とみていなかった。

明治天皇が即位してから言ったことにすべてが現れている。

明治天皇の孫小林隆利牧師曰く:

小林「・・・私の両親、特に母の残してくれた言葉は、年を経る毎に、重みが増してくるように思います。…母・仁は、私が成長し、やがて日本という国について意識するようになりましたときに、初めて本当のことを言つてくれました。

「私の父(明治天皇)が言われたのよ。『日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である。天皇の権限で日本の歴史を調べたが、神道は紀元前にはこの日本にユダヤ教として入って来た。そして、のちに入って来た原始キリスト教に習合されている。だから日本はキリスト教が中心になってくるべきだ』と」。母のこの言葉は私の心に焼き付います。

天皇家の由来についても、明治天皇はこのように語っておられたと、母は、繰り返し言っておりました。

「日本の元はユダヤ教が母体として入ってきたのだから、日本の天皇家の中心も、日本の国全体の中心も、その源はユダヤにある。それを完成したのがキリストでありキリスト教である」と。
http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda4/00C0TKaoqmAI95380.htm

南朝の復活は、日本におけるキリスト教勢力の復活ではなかったか。

北朝はそれを抑えるサタン勢力ではなかったのか。

このように思えてしかたがない。

 

 

2016年2月22日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net