故意の殺人を賠償金で済ませてはならない
C:
はあ、こうも全ての方面でやられるとやる気が失せますね
もちろん、あきらめませんが。
これはノンクリスチャンでは無理ですね
陰謀がある どうしようもない 終わり ですもんね
やはり、ポストミレを受け入れてクリスチャンが祈り、改革する必要があるんですね。
tomi:
そうですね。すべて神を恐れていないからできる。
でも、必ずつけは回るのです。
人間はやったすべてのことについて2つしか結果はない。
1.悔い改める
2.悔い改めないで裁きを受ける
これ以外にはありません。
3.なかったことにする
なんていう結果は神の世界の中にはない。
お店の会計で、一円でもバランスが出ると、責任を取らされるのと同じ。
一円でも足りなければ、それを自分で払うか、許してもらうかしかない。
今の日本人は、傲慢になっていて、自分がやったことについて、堂々と「何が悪い?」とくってかかる。
モンスター化している。
これって、無理です。
モンスターになったら、もう神の裁きしか残っていない。
昔、自分の子供が万引きとかしたら、父親は殴ったものです。
今は、「万引きがなんですか?あなたの店がたるんでいるからではないですか。」みたいな馬鹿親が多い。
tomi:
そうですね。
本当の羊飼いは、羊が間違ったほうに行ったら、棒でたたいた。
tomi:
羊が道を外れても何もしないのは、悪い羊飼いです。
むちと杖。
tomi:
飼い主は、過失ですから、賠償金でも許されます。
tomi:
故意の場合は賠償金はない。
聖書の罰則は、常に賠償金があります。
たとえば、失明させた人には、失明させる権利が被害者にあります。
しかし、それを賠償金という形で受け取ることもできる。
ただし、故意の殺人だけは、「賠償金を受け取ってはならない」とあり、必ず殺さねばならなかった。
「祭壇の角」は、罪人の避難所でした。
しかし、聖書では、「故意の殺人者は祭壇の角のところからでも引きずり出して殺せ」とあります。
2010年9月28日
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