さばきは神の家から始まる



入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。(創世記7・16)

洪水の警告を受けていたのに、人々はノアをあざ笑って箱船に入ろうとしなかった。

裁きの時が訪れて、神はすべての動物や生き物を箱船に入れて、ノアとその家族が入った後に、ご自身で戸を閉められた。

警告を何度かしても悔い改めなければ、残るは「主ご自身による拒絶」である。

人間が拒絶するのではない。

神が拒絶される。

これ以上に恐ろしいことはない。

なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。(1ペテロ4・17)

1990年に、私が再建主義を奉じるという理由で、教会の「長老の出席しない」長老会において裁判にかけられたときに「クリスチャンである自分が裁かれたということは、日本も裁かれるのだろう」と直観した。

ちょうどバブル絶頂期を過ぎたころで、まだ世間では景気がよかった。しかし、翌年からバブル崩壊が始まり、失われた20年に突入した。

これまでの人生でこんなことは何度もあった。

まず自分がある組織で理不尽な目にあう。

自分がそこを辞めた後、その組織が崩壊する。

「自分は崩壊寸前の組織に所属することが多いな」と思っていたが、このペテロの手紙の原理が作用していたのだ。

どういう原理か。

「さばきは神の家から始まる」つまり「神は、まずクリスチャンから裁く」という原理である。

エジプトに裁きが下る前に、イスラエル人に裁きが下った。

奴隷の労役が厳しくなった。

ヨセフを知らない王になって、厳しいノルマが課せられた。

イスラエル人が出エジプトしてから、エジプトは裁かれた。

ローマ帝国では、まずクリスチャンに対する大迫害が起きて、パウロもペテロも処刑された。

処刑したネロ・カエサルの死後しばらくして、ユリウス・クラウディウスの皇帝の血統は途絶え、帝国の創設者の家系が突然統治権を失った。

スエトニウス曰く「カエサルの種族はネロと共に潰えた」(Galba 1)。

クリスチャンに対する裁きが始まったのを見たら、悔い改めの時期の終わりが近づいていると見てよい。

 

 

2017年8月28日



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