ユダヤ人には羊系と山羊系がいる2
エウセビオスによると、紀元70年に神殿が崩壊する前に、「エルサレムでは市の人口の3分の1に相当する40000人のユダヤ人がイエスを信じ」ていた。
2007年3月に発行されましたシオンとの架け橋による「預言が成就しないとき」(ヨセフ・シュラム師講演速記録)から引用します:
多くのクリスチャンは、ユダヤ人たちが福音を受け入れなかったと考えています。ユダヤ人たちの心は硬く、目は閉じられているから、福音を全然受け入れなかったが、異邦人は喜んで受け入れたというのです。そこで、使徒言行録で救われたユダヤ人と異邦人の数を、試しに比較してみましょう。
まず、ユダヤ人の数です。ペンテコステの日に救われたのは使徒2章には3000人と書いてありました。
余談ですが、この数は偶然ではありません。ペンテコステがシナイ山における律法の授与と対応していることは、すでにお話ししました。シナイ山からモーセが下りてきたとき、何を見たでしょうか。人々は金の子牛を礼拝していましたね。この反逆の罪によって殺されたのは何名だったかご記憶でしょうか。3000人でした。エルサレムで二回目にトーラーが与えられた時、つまり聖霊が与えられた時に、シナイ山で失われた魂と同じ数の魂が救われることとなったのです。
さて、さらに4章を読むとペテロとヨハネの説教を聞いて5000人が信じたとあります。これで合計8000人です。そして、6:1ではそのころ弟子たちの数が何倍にも増えたと書いています。「何倍にも」ですから、少なくとも2倍にはなったでしょう。8000人の2倍ですから16000人以上です。そして、21:20になると「幾万人ものユダヤ人が信者になって」という記述があります。万の複数形ですから、少なくとも20000人です。これはエルサレムだけのユダヤ人ビリーバーの数です。
教会史家エウセビオスの記録によれば、当時エルサレムでは市の人口の3分の1に相当する40000人のユダヤ人がイエスを信じたといいます。今日のアメリカを含めたユダヤ人ビリーバーよりも遥かに多い。神殿崩壊前夜に、すでにこれだけのビリーバーがいたとは大変なことです。
エウセビオスの記述は別にして、使徒言行録の記事だけでもすごい数です。この人たちはどういう人々だったでしょうか。ヤコブたちはパウロに自慢しています。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています(21:20)。」彼らはイエシュアを信じ、律法遵守においても完全にユダヤ人だったのです。(引用以上)
http://messianic.jp/02-movement-history/history01.htm
2015年11月13日
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