熱いか冷たいかであれ2
このように、教会は、中途半端なクリスチャンでいいという教えであると同時に自ら中途半端になっており、聖書啓示を絶対視するようなわれわれは、異端児として扱われます。
だから、教会や教団にはほとんど居場所がないのです。
このご支援を申し出てくださった、神と神の国に忠実な兄弟とそのご家族のような理解者はきわめてまれであり、今の時代にあって主から大きな報いを受ける稀有の存在であります。
今、われわれが存在しなければどうなるでしょうか。
大きな妥協が行われている今の時代において、聖書主義を唱えるわれわれがいなければどうなるでしょうか。
フリーメイソン・イルミナティがばらまいた「切迫再臨」の教えによって無数のクリスチャンがサタンによって牙を抜かれ、祈らず、そのために彼らの計画がすんなり実現し、今頃世界政府ができていたでしょう。核戦争も起きていたかもしれません。
日本では、民主党政権が続き、尖閣を取られ、中国の計画が着々と実現し、太平洋を米国と二分され、東京が占領され、大虐殺が行われていたかもしれません。
祈らないということは、神よりもサタンのほうが強く活動するということです。
神は人間を通じて世界を支配することをよしとされます。
だからわれわれが黙っていてもうまく行くような世界では「あえて」ないのです。
日常の出来事の一つ一つについて祈って実行することにより、われわれは「神の副官として」地上を収めるという本来の姿に戻ります。
祈らずにいれば、神を忘れ、傲慢になり、「自分がやった」と言いだしかねません。
神は、地上を「聖書的クリスチャンに」支配させようとしておられる。
だから、われわれは、祈らねばならない。
祈って、神から力をいただいて、地上支配を実現しなければならない。
しかし、今の流行の神学だと、信仰は「個人的な事柄と教会の事柄に限定される」という教えなので、世界の出来事に祈りによって向かわない。
しかも、ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレによって「大患難は必ず起きる」と信じているので、これらの悲惨な戦争を傍観する。
このような教えのもとでは、誰も祈る者がいなくなる。
イルミナティ・フリーメイソンはこれまで同様、やりたい放題になる。
しかし、傍観していればいいと思っていたクリスチャンは、今、どんどん彼らの攻撃が自分にも迫っていることに気づき始めた。
アメリカでは、貧困化が進んでいる。
中産階級の資産がどんどん奪われている。
これは、TPPや新自由主義者を通じて日本にも迫っている。
消費税、天然ガスやガソリン価格の高騰などを通じて奴らはわれわれを貧困化させようとしている。
アメリカでは、1%のユダヤ人金持ちに大部分の富が集中するようになってしまった。
同じことがこれから日本でも起きる。
これを防ぐためにも、われわれは祈らねばならない。
しかし、祈れと言っているのはわれわれしかいない。
なぜならば、プレ・ミレではないのはわれわれしかいないから。
われわれがいなくなれば、どうなるのか?
どうかそれを考えていただきたい。
2013年12月1日
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