聖書の教えに関して妥協するくらいなら死んだほうがまし
1.
風邪もかなりよくなった。祈ってくださった方々に感謝します。
50代になってから体に不調が出てきた。
癒やしの賜物を持つ方が会員の中にいらっしゃる。
いろいろとお力をお借りして感謝である。
私も祈らせていただいて、うつ病や内臓疾患、腫瘍などが癒やされた方々がいらっしゃるが、私自身も他のクリスチャンの祈りによって癒やされてきた。
よく「癒やしの賜物があるならば、自分を癒やせ」という人がいるが、神の御心は「互いに祈り合う」ことにあるので、癒やしの賜物があるからといって必ずしも自分の体を完全に保てるわけではない。
2.
私は、病気の原因の多くは「隙」にあると考えている。
その人独特の問題がある。
人によって弱いところが違う。
悪魔は、その弱いところを狙ってくる。
たとえば、ノンクリスチャンの時代から占いに誘惑される人がいた。
同じ教会の他集会に所属していた人で、教会の全体集会ではじめてその人を見たときに「悪霊に憑かれている」と一目でわかった。
どんよりとしている。
常に伏し目がちで、元気がない。
後で誰かから聞いたところ「占いをやっている」と。
隙があったのである。
昔からの悪い習慣を捨てられなかったのである。
3.
長老になったとか、神学校に入った、牧師として赴任した・・・。
こういう神の国に直接関わる役職についた人ならみな経験することだが、悪霊の攻撃は激しくなる。
とくに牧師のように教えに関わる活動をしている人は、知らないうちにいろんな罠にかかる。
大衆伝道者のように、人々の前で出て、華々しい活動をしている人は、裏に回れば、とくに激烈な攻撃を受け、無数のトラップに遭遇する。
そもそも、普通のクリスチャンは、人前に出て活動し、有名になり、チヤホヤされることを嫌うものだ。
なぜならば、誰が見ているかわからないからだ。
世俗の社会でもTVなどに出て有名になっている人は、何かの罠にかかり、魂を売っている場合が多いと思う。
悪魔は甘くない。
人々に影響を与えることができると判断したら、必ず何らかのトラップを仕掛けて、自分のために活動させようとする。
だからホリエモンとか橋下とか、TVで名を売ったような人には、背後に「けつもち」がいるはずである。
選挙に出たホリエモンが「天皇制などいらない」と発言した。
橋下は、外国人参政権推進論者である。
世間で有名になるとか、それでお金を稼ぐなど、自殺行為である。
アイドル的な存在になって有名になったスターのその後の生活を見てほしい。
4.
私の場合は、もっぱら「聖霊に押し出されて」情報発信をやっている。
有名になどなりたくない。
有名になればなるほど、霊的な攻撃は激しくなると予想されるから。
教団や外国の組織などからの支援がまったくない状態で、ただ真理だけを追究し、発信する作業がどれほど霊的・肉体的・経済的に激しい攻撃にさらされるかすでに十分に体験してきた。
はっきり言わせてもらえば、今、ミレニアムが崩れれば、日本においても世界においても、キリスト教の崩壊の歯止めはなくなるだろう。
もちろん、神はわれわれ以外の人を起こす力をお持ちである。
しかし、神はわれわれを特別に選んで、真理の光を保とうとされている。
回りを見渡していただきたい。
福音派、カリスマ派、改革主義の教会で、アルミニウス主義やディスペンセーション主義に汚染されていないところがあるだろうか。
セオノミーを捨てて、世俗の教えを取り込んでいるから、死刑反対とか、非予定論、非六日創造説、進化論、悲観主義終末論を唱えている。
ヒューマニズムの罠にすっかりはまっている。
この「濁流」に飲まれずに、われわれが残っていることは、奇跡に等しい。
5.
支援者がほとんどおらず、生存に必要なわずかなお金でギリギリの生活をしているわれわれは、「世の教え」の激しい攻撃に耐えて、必死に、一歩一歩川を遡上している。
外国からの資金で活動する敵は、その豊かな資金と人材を使って、次々と新しい「ミニストリ」を始めている。
われわれから見れば、16世紀の宗教改革者ですら「多数の支援を受けていた」と思わざるをえない。
なぜならば、当時、すでにヨーロッパは、キリスト教化されていたからだ。
クリスチャンの絶対数が圧倒的に大きいヨーロッパやアメリカにおいて真理を維持するのと、この日本という、クリスチャンが皆無の砂漠のような土地で戦うのと比較にならない。
1993年にラッシュドゥーニーの友人が来日したときに、言われた。
「あなたの活動は非常に厳しいものになるだろう。日本にはクリスチャンが少ないから」と。
1996年に按手礼を受けたときに、父親に報告したところ「お前、結婚できないぞ。それでもいいのか?」と言われた。
結婚できなくなるから、ミニストリを止める?
あり得ないと思った。
これは預言であった。
実際に結婚どころではなかった。
不思議なことに、その数ヶ月後に訪れた長崎において「自分の十字架を負ってわたしにしたがって来なさい」との御言葉をいただいた。
1996年以降、無数の攻撃にさらされた。
6.
こういう具合で、私は、聖書の教えに関して妥協するくらいなら死んだほうがましだと思っている。
2018年7月19日
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