剣を取る者は「みな」剣で滅びます
イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。
すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。…」(マタイ26・47、51−52)
武力は、武力のない人や国を支配するための方法である。
しかし、それは、つかの間の支配である。
なぜならば、武力に頼る国は、武力に滅ぼされるから。
信仰がない人は、武力で支配されたらおしまいだと思うかもしれないが、われわれは、たとえ武力でわれわれを支配しても、いずれわれわれに代わる者が興されて、同じことをするだろうと考える。
なぜならば、神の国を推進しておられるのは、神ご自身だから。
神は武力をまったく恐れていない。
神の国を滅ぼすことのできる力はこの世界には存在しない。
だから、われわれは、たとえ自分が死ぬようなことがあっても、全然心配しない。
たとえわれわれの働きが灰燼に帰したとしても、全然心配しない。
神は必ず回復され、われわれの働きを永遠の報いとして輝かせてくださるから。
神の御心に反して積み上げられた努力ほどバカなものはない。
バベルの塔はバカの所産である。
必ず崩されるから。
神はバベルの塔を築く者たちを利用しておられる。
神の力と正義と真実を明らかに示すためである。
バベルの塔を築く人々を滅ぼすことによって、神はご自身の栄光を示される。
この世界では、正義と真実が「絶対的に」支配している。
一時的に進化論が流行っても、共産主義が勝利しても、それは、必ず滅びる。
真実でないものは、必ず滅びる。
だから、われわれは心配しない。
たとえ自分について嘘やデマが流れたとしても、嘘やデマや中傷は必ず滅びる。
だからといって、自己防衛してはならないということではない。可能な限り自分の名誉を守るべきである。しかし、その努力が通用しないと分かったら、神に委ねることである。
神はいつか、ちょうどよい日に、われわれの名誉を回復してくださる。
たとえ中国が世界を支配するようになったとしても、神は中国を滅ぼされる。
なぜならば、真理がないから。
共産主義者の政権を永遠に残すようなことはされない。
最終的に、キリストの御国が勝利する。
イスラム教国が強くなっても、必ず滅ぼされる。
キリストに逆らう権威や権力は必ず滅ぼされる。
世界の歴史は、予定されている。
最後に、神の国が世界を支配するようにストーリーができている。
そのストーリーは、永遠の昔に作られた。
だから、武力とかデマとかプロパガンダとか空しい努力なのである。
人が誰か無実の人を襲ったら、その人も襲われる。
神は、人がやったことに応じて報いを与えられるので、同じことが起きる。
武力を使った人は、武力で報いられ、デマで人を貶めた人は、デマで貶められ、騙して盗んだ人は騙されて盗まれる。
剣を取る者は「みな」剣で滅びます。
2014年2月6日
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