神の国のために献金を惜しむような人が救われているわけがない


「先生、事情があってこれからは支援ができなくなります」という場合、「じゃあ、こちらも情報は提供できません」と答える。

「すみません。事情があってこの商品の代金を払えないのです」とコンビニに言ったら「じゃあ、商品は差し上げられません」と言われるのと同じである。

「そこをなんとか」と言って通用するわけがない。

ノンクリスチャンに対しては、福音を無料で提供せよ、と聖書にある。


あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10・8)

しかしクリスチャンに対しては、働き人に報酬を払えとある。

聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。(1テモテ5・18)

ノンクリスチャンは「お客様」であるが、クリスチャンは「同労者」である。

だから、牧師や伝道師だけに負担を負わせるようなクリスチャンには、しかるべきサービスを拒否するのは当然である。

人質をとって立てこもっている現場で、一般人はだまって野次馬で見ていてもいいが、警察官がいっしょに事件を眺めていたら免職ものである。

国民だってそんな警官に報酬を払おうと思わないだろう。

そもそも神の国のために献金を惜しむような人が救われているわけがないのである。

聖霊がうちにいらっしゃって、なおかつ聖書の律法を無視するはずがない。

 

 

2017年11月29日



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