キリスト教に関する誤解を解く
>共産主義はキリスト教から生まれたもので、そこからデジタルな無神論も生まれたと思います。
共産主義は、キリスト教からではなく、ヘーゲル主義から生まれました。ヘーゲルは、「人間は超越的な権威(たとえば、聖書啓示)によらずに、独自に世界観を作り出すことができる」としたインマヌエル・カントの「人間理性至上主義」を土台に近代哲学を体系化しました。
カトリックは三位一体説(神を三つに分け、ローマ法王を神の位置に据えた)で人間を不自然にし、そのことによるカトリックの腐敗からプロテスタントが生まれました。
三位一体説と、ローマ法王を神の位置に据えることとはまったく別物です。
ローマ法王の絶対化は、ギリシアの自然法思想に遠因があります。ギリシアの自然法思想では、まずはじめに自然秩序があったとします。そして、ローマ・カトリックは、この自然法思想を取り入れて「聖書の神の創造は、その自然秩序の中で追加されたものである」とします。そして、神の法は、自然法よりも下位に位置すると考え、自然秩序に関する権威としてローマ法王を据えたので、神よりもローマ法王が上位に位置することになりました。
>プロテスタントはカトリックよりひどい不自然なことを教えました。それは三つの教義です(1、信仰義認説:善行を行わなくて良い、2、十字架信仰:十字架を口で告白すれば天国へ行ける、3、1000年王国説:キリスト教信者以外は魂も永遠に死に、キリスト教信者は永遠に生きる)
1.信仰義認説は、善行を行わなくてよいとは述べません。「神の絶対基準に達するには善行は効果がない。イエス・キリストが人間の代わりにこの基準を満たしたので、イエス・キリストを信じることによって人間もこの基準に達したとみなされる」とするのです。これは、聖書が繰り返して述べていることであって、プロテスタントが創造した意見ではありません。
聖書では「行いの伴わない信仰は死んでいる」とします。救いの条件としての善行を否定しますが、救われた後での善行を肯定します。信者の生活の目標は、神の法を守って、神に喜ばれる生活をすることにあります。
2.十字架信仰は、聖書が繰り返し語っていることであり、プロテスタントの独自のものではありません。それから「十字架を口で告白する」のではなく、「イエス・キリストへの信仰を口で告白する」のです。
3.千年王国説は、不信者の魂の永遠の死や、信者の魂の永遠の生を教えているのではなく、地上においてキリストが千年間王として君臨することを教えています。この場合「千年」とは象徴的な表現であり、イエス・キリスト以降、終末までの期間を象徴します。
キリスト教はこれらの教えにより人間を非常に不自然にし、そこから生まれた共産主義はもっと不自然になっています。キリスト教の根本的改革(4つの教えの廃棄)以外西洋文明を良くすることはできないと思います。
西洋文明がおかしくなったのは、キリスト教が入る前のヨーロッパにあったギリシア思想、ヘレニズム、つまり、自然秩序と自然法を究極と置き、イエス・キリストへの信仰ではなく、「知識を獲得することによる救い」を唱えたことが原因です。
このヘレニズムの流れは、ローマ・カトリックを通じて、キリスト教の中に入り、聖書的なキリスト教を毀損しました。この毀損されたキリスト教を純粋なものに復活させようとしたのがプロテスタントの宗教改革です。
聖書啓示に頼るのではなく、「知識による救い」が極端に押し進められたのがインマヌエル・カントの思想革命です。
カント以降、「人間は神の教えなしでもやっていける。自分で考えた思想でよい」と考え、それが、ヘーゲル主義を生み、無神論、マルクス主義を生んだのです。
ローマ・カトリックは、現在(知識による救いを唱える)グノーシス主義に支配されており、キリスト教とは言えないものになっています。
プロテスタントも同様に、人間理性至上主義の影響を受けて、聖書啓示を無視する方向に向かっています。
解決は、聖書啓示を絶対的権威として回復することです。
2014年4月30日
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