ルターの異端的な発言について2
「・・・すべてのクリスチャンは信仰によって高められ、万物の上に置かれている。彼らは、霊的な力によって、文字通りあらゆるものの主であり、それゆえ、彼らに害を及ぼすものは何一つ存在しない。 実際、万物は、彼らに服従するように導かれ、彼らの救いに貢献すべく奉仕を強いられている。」(From the essay,' Freedom of a Christian,' 'Martin Luther: Selections From His Writings, ed. by Dillenberger, Anchor Books, 1962 p. 63.)
「すべてのクリスチャンの手から「聖職者」「教職者」「霊的指導者」「教会奉仕者」の職務が奪われ、今日間違った言葉の使い方のゆえに「聖職者」と呼ばれている人々に移されているので、不義がはびこっているのである。」(Ibid., p. 65.)
「絶え間なく棒で打ちたたかないと動かないラバのように、官憲は一般人を追い詰め、鞭打ち、首を絞め、吊るし、焼き殺し、斬首し、拷問しなければならない。それは、権力者を恐れることを学ばせるためである。」 (El. ed. 15, 276, quoted by O'Hare, in 'The Facts About Luther, TAN Books, 1987, p. 235.)
「農民は豚である。豚を屠殺すると死ぬからである。同じように、農民は来世について考えない。もし考えていたら、まったく違った行動を取るだろうから。」('Schlaginhaufen,' 'Aufzeichnungen,' p. 118, quoted ibid., p. 241)
農民反乱が最も激しく戦われたのは、フランケン地方の北のテューリンゲン地方であった。その中心都市がミュールハウゼン(ドイツ語版、英語版)で、この都市を拠点に農民反乱を指導したのが聖職者のトーマス・ミュンツァーであった。ミュンツァーはルターの宗教改革運動に関わったが、次第にルターの考え方−現存する権力と秩序を認める−に批判的になり、「地上における神の国」の実現を求めるようになった。ミュンツァーは、農民だけでなく鉱山労働者にも呼びかけ、彼らの参加を得て農民軍を強力な軍隊に組織し、諸侯・領主を完全に排除し、蜂起者による共同社会(「地上の神の国」)を実現することを説いた。6000人に膨れ上がった蜂起軍は、諸侯の城塞、教会、修道院を次々に襲撃していった。
ルターははじめ、反乱に立ち上がった農民に同情的であったが、このミュンツァーに指導される反乱が始まると、これを厳しく非難し、諸侯たちに徹底的に鎮圧するよう勧告した。ルターに激励された諸侯軍は、1525年5月、ミュンツァー軍と決戦を行った。その大半が槍や鎌しか持たない農民軍は勇敢に戦ったが、大砲で武装した諸侯軍の敵ではなく、徹底的に粉砕された。ミュンツァーは捕らえられて拷問された上処刑された。
(Wikipedia―ドイツ農民戦争)
「農民たちは、神と人に対して三つのひどい罪を犯し、肉体と魂の死に値する者となった。農民たちは、支配者に対して、真実で忠実で従順で従順であることを誓っていたが、今、この誓いを意図的かつ暴力的に破っている。彼らは謀反に走り、自分のものではない僧院や城を激しく奪い、盗んでいる。農民たちは、追い剥ぎや殺人犯のように、肉体と魂において二重の死に値する存在になった。このひどい罪を福音の名のもとで実行している彼らは、神の冒涜者となり、その聖名を汚す者となった。」
https://en.wikipedia.org/wiki/Against_the_Murderous,_Thieving_Hordes_of_Peasants#Against_the_Murderous,_Thieving_Hordes_of_Peasants
2018年4月14日
ホーム