御霊のからだについて
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・42-53)
1.
われわれの肉体は、「朽ちるもの」であり、復活のからだは「朽ちないもの」である。
われわれの肉体は物理的にエントロピーの法則を免れない。すなわち、「無秩序は不可逆的に増大する」のである。
若いときは病気一つしなかった私も、初老になって病気がちになった。
外見は老人には見えないが、体の不調に悩まされるようになった。
この肉体は必ず朽ちる。誰もそれを避けられない。
しかし、われわれは、この肉体が朽ちつつあるとしても、死なない。
われわれはすでに復活しており、復活の命が内側にある。
その命は、この肉体を脱ぎ捨てるときに、新しい「朽ちないもの」に変えられる。
われわれはみな、「眠ることになるのではなく、変えられる」のである。
旧約時代、救われた人々は死後、眠った。パラダイスがなかったからである。
彼らは、イエスが登場し、贖いを成し遂げるのを待っていた。
イエスが復活され、昇天されたときに、彼らもいっしょにパラダイスに行き、復活体を与えられて今でも生きている。
それ以降、新約時代において、クリスチャンは死ぬと同時に永遠に朽ちないからだに「変えられ」てパラダイスに住む。
2.
肉体は「卑しいもの」であるが、「御霊のからだ」は「栄光あるもの」である。
パラダイスにいるクリスチャンは栄光に包まれている。
肉体は「この土で造られた者に似て」いるが、「御霊のからだ」は「天からの者」に似ている。
つまり、肉体はアダムに似ているが、復活体は「栄光のイエス」に似ている。
栄光のイエスは、光に包まれていた。われわれもあのような姿になる。
復活体は、「弱いもの」ではなく、「強いもの」である。
「血肉のからだは神の国を相続でき」ない。「朽ちるものは、朽ちないものを相続でき」ない。
神の国は永遠に続く。神の国を相続し、栄光のものを受け継ぐには、長くて80年しかもたない肉体では無理だ。
100兆年続いても終わらない永遠の御国に住むには、永遠のからだに変えられなければならない。
3.
サタンに従うならば、サタンとともに火の池の中で永遠に苦しむことになる。
悪魔に属するすべてのものから離れ、神の国とその義を求めよう。
2017年9月1日
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