日本は恵みの契約の国である (1) 「イスラエルがカナンに入ったら、民は、ゲリジム山とエバル山の前に立て」とモーセは命令した。 |
あなたがたがヨルダンを渡ったとき、次の者たちは民を祝福するために、ゲリジム山に立たなければならない。シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフ、ベニヤミン。
また次の者たちはのろいのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。(申命記27・12-13) |
ゲリジム山とエバル山は、それぞれ祝福と呪いを象徴した。 |
見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、 もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。(申命記11・26-29) |
神はイスラエルをエジプトから救い、神の契約の恵みの中に入れた。 しかし、それは、無条件で祝福を得るという意味ではなかった。 神との契約には、「契約の民らしく神の命令を守る」ことが義務付けられた。 この神の命令を守る者には祝福が、破る者には呪いが下るはずであった。 この契約の賞罰の象徴として2つの山があった。 |
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ゲリジム山とエバル山は南北方向に並んでおり、間の道は東西方向である。 (2) エデンの園は、エデンの山の中腹にあり、エデンから来た川が4つに分かれる源流地にあった。 門と城壁があったので、上から見ると、以下のような形をしていたと思われる。 園の中央に「生命の木」と「善悪の知識の木」があった。 これは、それぞれ祝福と呪いを象徴していた。 ゲリジム山とエバル山もイスラエルの中央の地シェケムにある。 シェケムの2つの山は、エデンの園の2本の木と対応している。 (3) しかし、シェケムの山とエデンの園の木とは、本質的に意味が異なる。 A.シェケムの山は、「恵みの契約」の「祝福と呪い」を象徴する シェケムは、アブラハムがカナンに到着した際に、神が以前与えられた約束を最初に繰り返された場所である(創世記12・6-7) つまり、モーセの「祝福と呪いの地」は、もともとアブラハムの「約束の地」であった。 これは、モーセ契約における「祝福と呪い」の要素が、救いの約束の範囲内にあることを示している。 今流行の「無条件の救い」の教えと異なり、聖書契約は、行いに応じて「祝福と呪い」のいずれかを下すとの規定があるが、それは、あくまでも救われた人々に対してである。 B.エデンの園における2本の木は、「わざの契約」の「祝福と呪い」を象徴する アダムは、人類の代表として、契約(わざの契約)を守り、「地を従えよ」との命令の成就を通じて全被造物を完成させ、それを神に献上しなければならなかった(創世記1・18)。 エデンの園における2本の木は、「わざの契約」の「祝福と呪い」を象徴する。 アダムは契約の代表者であり、贖い主がいなかったので、失敗すれば死んで永遠の生命を失う危険性があった。 しかし、神は、「わざの契約」から「恵みの契約」に切り替えて、「贖い主を信じる信仰による命令成就」の道を人類に開かれた。 イスラエルの契約は、「恵みの契約」であり、贖い主がいるので、違反行為が死をもたらすことはなくなった。悔い改めて契約の中に留まる意思を持つ限り、人々は、救いからもれることはなかった。 「祝福と呪い」を象徴する2つのもの、つまり、エデンの園の2本の木と、シェケムの2つの山は、その意味が本質的に異なる。それは、空中ブランコにたとえると、前者が安全ネットなしの演技、後者が安全ネットありの演技である。 「わざの契約」では失敗は許されないが、「恵みの契約」では失敗が許される。なぜならば、失敗したことのないイエス・キリストが契約者の代わりに律法を守り、その刑罰を受けてくださったからである。 (4) 「祝福と呪い」の象徴は、神殿において入口に置かれた。 それが、ボアズとヤキンである。 ボアズとヤキンのいずれにも植物の鋳物が追加された。 |
彼は青銅で二本の柱を鋳造した。その一本の柱の高さは十八キュビト。周囲は他の柱といっしょに、ひもで測って十二キュビトであった。
彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作り、柱の頂に載せた。一つの柱頭の高さは五キュビト、もう一つの柱頭の高さも五キュビトであった。 柱の頂の柱頭に取りつけて、鎖で編んだ、ふさになった格子細工の網を、一方の柱頭に七つ、他の柱頭に七つ作った。 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうために、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、他の柱頭にも同じようにした。 この玄関広間にある柱の頂の上の柱頭は、ゆりの花の細工であって、それは四キュビトであった。 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで丸い突出部の回りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。 この柱を本堂の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。(1列王7・15-21) |
ゆりの花を意味する柱頭に、ざくろの実が200個ずつ付けられていた。 これは、生命を意味する。 つまり、主の契約に入ったイスラエルにとって、祝福も呪いも命であるということを象徴している。 契約の二枚の板は、契約の箱に入っている。律法が放つ要求は、キリストを象徴する箱の中に収められているので満たされている。 だから、違反しても、契約の民は命のうちにある。 (4) 神殿の玄関の前にはボアズとヤキンが、至聖所の中には山があった。 至聖所の中のケルビム(御使い)の羽と羽が触れ合うことによってできる三角形は、神の山の象徴である。 エデンの山は、神の臨在を表し、すでに見たように、その頂上から恵みの水が流れ、エデンの園に注がれていた。 そこから、4つの川が流れていた。 これは、契約の民を通じて世界の四隅に神の祝福が届くことを象徴している。 山頂に神がおられることを異なる形で象徴するのが、「ピラミッドと目」である。 本来「ピラミッドと目」は、聖書的なのである。 現在、イルミナティが利用しているのは、偽装に過ぎない。 (5) 何度も示しているように、二本の柱と山は、エデンの園の象徴である。 日本には、伊勢(左)と西伊豆(右)の2か所において、夫婦岩と富士山が重なる。 これは、自然を通じて、神が「日本は世界のエデンの園である」と示しておられるとしか思えない。 夫婦岩はボアズとヤキンであり、(わざの契約のではなく)恵みの契約の「祝福と呪い」を象徴し、山は神の臨在を象徴する。 日本は、恵みの契約の国である。 |
2013年7月3日 |