四国そのものが神社である6 (1) 六芒星は、△+▽で天地の合一を示す。 空を飛ぶ鶴は天を象徴し、地を這う亀は地を象徴する。 だから、鶴亀は六芒星と同じ意味を持つ。 亀は、海をも象徴するから、空海という名前は、鶴亀を意味する。 だから、空海の教えの本質は、鶴亀=六芒星=天地合一であろう。 八咫烏によると、籠神社は阿で、伊雑宮は吽。 籠神社の極秘伝によると、両者はそれぞれ亀と鶴。 だから、鶴亀=阿吽。 阿吽とは、始めと終わり。 鶴亀=始めと終わり。 始めと終わり=アルファとオメガ=イエス・キリスト。 だから、空海=鶴亀=阿吽=イエス・キリスト。 空海がイエス・キリストという意味ではなく、空海が示したのがイエス・キリスト、弥勒。 弥は、「あまねく」という意味であり、勒は「統御する」という意味。万物の主。 鶴亀=六芒星の意味である天地合一とは、神と被造物との調和である。 つまり、契約によって神と人とが一つになること。 真言密教の教えである即身成仏とは、大日如来と一体化し、仏陀となることによる。 キリスト教において、洗礼と聖餐とは、イエス・キリストの体に加えられることを意味している。 つまり、キリストとの一体化である。 だから、クリスチャンになることを象徴するものが六芒星なのである。 「真言密教の影響を受けた修験道では、擬死再生の思想があり、山伏の籠もる深山は山中他界と観念されてい」た。 「山伏は一種の他界から帰還する(=蘇る)ことによって超人的な力(法力)を獲得すると考えられ、平地民の間では天狗のイメージのように畏怖の対象ともなっていた。」(Wikipedia―即身成仏) 神と契約的に一体化することにより、自ら神のような霊力を持つという考えは、聖書にもある。 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネ14・12) 修験道における修行とは、クリスチャンがより神に近づくことによって、常人とはかけ離れた力を持つために行われる修養に等しい。 空海が開いた教えは、言葉を置き換えると、クリスチャンもすんなり理解できる。 (2) 神戸から剣山へは、神社参拝の道である。 神戸が鳥居、淡路島が参道、阿波徳島が拝殿、剣山が本殿に相当する。 これは、神の幕屋の入り口→庭→聖所→至聖所に対応する。 神戸と剣山と伊勢神宮を結ぶとほぼ二等辺三角形になる。 つまり、神戸から剣山までの距離と、神戸から伊勢神宮までの距離がほぼ等しい。 神戸市東灘区(及び芦屋市)あたりがちょうど中央である。 ここを起点とすると、籠神社からの距離もほぼ等しくなる。 つまり、籠神社―剣山―伊勢神宮の三角形のほぼ中心になる。 神戸は、おそらくこれらイエスにまつわる3つの地点の中心として見られているのではないだろうか。 籠神社―剣山―伊勢神宮の三角形に共通するのは、六芒星である。 1.籠神社の奥宮真名井神社の社紋は、六芒星である。 2.伊勢神宮の内宮に六芒星がある。伊勢神宮の別宮である伊雑宮の社紋が六芒星。 3.剣山はもともと鶴亀山だった。 籠神社―剣山―伊勢神宮の三角形は、鶴亀の三角形。 空海は籠神社の真名井御前と恋仲になった。 真名井御前は、籠神社(真名井神社)の宮司の家系であり、それゆえ日下部・海部族の家系である。 結ばれる(つまり結婚=天地合一)という想いをとげられなかったが、空海にとって籠神社は特別な意味を持っている。 (3) 三角形があるならば、逆三角形があるはず。 神戸を中心とした逆三角形の三点はいったい何か。 1.修験道の聖地伊吹山 2.同じく熊野本宮大社 3.美作八十八カ所霊場 である。 この六芒星こそが、空海が意図した教えの中心ではないだろうか。 2013年2月24日 |