四国そのものが神社である


(1)
空海は、景教徒だった。

長安で、「大秦景教流行中国碑」の碑文を書いた僧、景教徒の景浄に会い、彼から洗礼(灌頂)を受ける。

洗礼名は「遍照金剛」。

「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったもの。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html

空海が読んだと言われる「いろは歌」を表にすると、「咎なくて死す」の言葉が出てくる。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/photo/history/iro.gif

つまり、イエス・キリストの死を暗示している。

61才で死ぬ前に 「悲しんではいけない。わたしは・・・・弥勒菩薩のそばに仕えるために入定(死ぬ)するが、 56億7000万年ののち、弥勒と共に再び地上に現われるであろう」と言った。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html

弥勒は、MiLoKuであり、ヘブル語は原則、子音字表記なので、MLKとなる。

これは、ヘブル語で王を表すメレクと通じる。
http://michellebentham.files.wordpress.com/2008/09/1melekourking.jpg

イエス・キリストは「王の王」なのでメレクと表現できる。

弥勒が再臨するときに地上に現れるとは、キリスト教の再臨信仰からきていると思われる。

真言宗では、十字を切る。


真言宗の十字架. 空海(遍照金剛)がもたらした真言密教ではまた、儀式の最初にいつも十字を切る。棒を使って水平に3回、そして垂直に1回、空を切る。このしぐさは「中印」と呼ばれている。 これは東方教会の十字の切り方と同じである。
http://nexus.way-nifty.com/wwjd/2006/11/1104__20a7.html

高野山奥の院御廟前の灯篭に十字架がついている。

上記のHPによれば、

潅頂式に使う祭壇の装飾具にも、天がいの裏に太い十字架があり、玉旛の上部にも十字架がある。

また「卍字香炉」には卍字が描かれている。卍字も十字架の一種である。

京都に、空海による真言密教の道場、東寺という寺がある。そこのある執行職の家には、十字架を使った秘密の儀式があり、また東寺には、「天使」を描いた古代キリスト教の美術様式によく似た絵がある(午皮華曼/1086)。同じような夭使の絵は、岩手県の中尊寺にもあり、さらに中央アジアの景教遺跡にも見いだされている。

数珠も景教が伝播された後にできたものであり、ロザリオを真似たものではないかとの説がある。

「一身即三身」「三身即一」は三位一体の影響か。

空海が説いた「大日如来」は、仏の本体、つまり無形の神。

釈尊が見える仏なら、大日如来は無形で、永遠不変の仏。

フランシスコ・ザビエルは神の日本語訳をデウス(大日)とした。

景教の教会は仏教のお寺と似ているという。

・日本の仏教のお寺にいる感じの景教の教会

ケン・ジョセフがアメリカの景教の教会を訪問したときの印象紀によると、 日本の仏教のお寺にいる感じだったとのことです。

牧師も会衆もみな祭壇の前を向いて礼拝し、牧師が「読経」のようなことを延々と行う、 しかも独特の節まわしで読経と錯覚するほどだそうです。

・香炉からは煙が立ち上がる景教の教会

また香炉からは煙が立ち上り、人々はその煙を自分の体にかけるようにするそうです。 それが祝福をもたらすからです。

また、信者は手に数珠(ロザリオ)を持っているそうです。

仏教の数珠の発案者は、唐の僧、道綽(どうしゃく)(562〜645)といわれてますが、 この時期に初めて景教が入ったのですから、景教の風習であった数珠が、 仏教にもとりいれられたと思われるようです。

更に、景教では、ろうそくを立て、あかりをともします。

祈りの初めや終わりには、ベルの音が鳴ります。なんとなく仏教に似ています。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html

日本の仏教は、空海を通じて、ネストリウス派のキリスト教の影響を強く受けている。

このように考えると、空海ゆかりの札所である四国八十八か所の意味が見えてくるかもしれない。

八十八は、八が重なる。八重=ヤーウェ。
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=184

剣山を中心に配置されている。

剣山は、もともと「鶴亀(つるき)山」といった。

籠神社の極秘伝によると、鶴亀の亀は籠神社を象徴し、鶴は伊雑宮を象徴する。八咫烏によると両社はそれぞれ「阿吽(あうん)」。

阿ははじめ、吽は終わりを表す。

両社とも、ダビデの星が社紋である。

これは、「はじめであり、おわりである」イエス・キリストを連想させる。

すなわち、鶴亀とはイエス・キリスト。
http://millnm.net/qanda3/17sEBhFfLqcE27106.htm

剣山はイエス・キリストの山。

それを取り囲む八十八か所=八重=ヤーウェ。

四国は、イエス・キリストの山剣山を中心として結界が作られているのか。

(2)
四国そのものが、神社の境内なのかもしれない。

神戸は神の戸としてこの境内に入る鳥居の町。

淡路島は、「阿波への道の島」であり、参道。

真名井神社(籠神社)における天橋立と同じ意味を持っているのではないか。

徳島=阿波。

徳島の三木氏に代表される阿波忌部氏は、神祇祭祀に携わる部民を統率した。

聖書では、祭司長にあたる部族。

もちろんレビ族の子孫と思われる。

祭司の場所として阿波の国があるならば、そこを聖所と考えても差し支えないだろう。

剣山が至聖所(本殿)。

四国全体が神社なのだ。

(3)
神道では秘密とされてきたが、空海は、「四国に鉄の橋が架かれば、本土から狐が帰ってくる」と言った。

空海は法力で、四国から狐を追い出し、狸の国にしていた。
http://ameblo.jp/cm111697721/entry-10815015352.html

1988年に本州四国連絡橋ができて、四国に鉄の橋がかかった。

はたしてキツネとは何か。タヌキとは何を表しているのか。

1998年の明石海峡大橋が開通したことは、剣山への道が開け、本格的に四国が神社(聖なる場所)として機能しはじめたのだと思う。

(4)
1988年は、日本にとって新しい時代の始まりだったと思う。

K氏が真名井神社に行ったのが1988年。

明石大橋が開通した1998年から、われわれにはさらに多くのことが明らかになってきた。

日本の秘密が次々と明らかになった。

同時に激しいサタンの攻撃に見舞われたが。

この過程を見ると、日本人がキリスト教に目覚めるのも近いと思われる。

仏教だと思われてきた空海の教えが実はキリスト教であったと分かる日も近いだろう。

 

 

2013年2月22日



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